藁科組(甲東園芸術啓蒙委員会)

関西を中心に活動する音楽系Youtuber藁科組の活動報告ブログです、ぴっぱらり〜☆

音楽とはなにか〜『西洋音楽史』を読んで考える〜 第一章 謎めいた中世音楽

えー、どうもこんばんは。僕が王様だったころ、というバンドで歌唄ってます、藁科です。といっても、最近はコロナのおかげで(どこもそうですが)さっぱりワヤ、まともにライブなんぞできとらんわけですが。

 

しかしライブがなくなっても曲を書くことや歌詞を書くことはできるわけで。せっかくなのでいろいろと勉強したり調べたりしているんですが、やっぱり自分でまとめないとすっかり頭から抜け落ちてしまうわけで。

それがもったいな、と思ったので、こうして書くことでまとめていこうと。

ぼくのブログ読むなんて、まあよっぽどクソヒマな人間か、あるいはマニア(そんな人がいてくれたら嬉しいですね)だけでしょうが、その人たちに面白がってもらえるようなことを書いていけたらいいな、と思ってます。

書く、というより語るような感じで。ほとんど推敲もせず。体裁を整える、というより目の前にいて話している、そんな距離感が理想です。

 

というわけで大きく打ち出してるわけなんですが、、、まずファースト・テーマは

 

「音楽とはなにか」。

 

いや、デカすぎるやろ。デカすぎるんですが、、、このあまりにも巨大なテーマを、今『西洋音楽史』(著:岡田暁生)という素晴らしい本を読んでいるのですが、ここから考察していければいいな、と思ってます。

ま、『西洋音楽史』のブック・レビューみたいなものだとお考えください。

 

 

 

 

というわけで早速、『西洋音楽史』第一章「謎めいた中世音楽」。

 

われわれがここで辿るのは、俗に「クラシック」とよばれている芸術音楽のルーツだ。

 

そ、この本はクラシックについて書かれた本なんですよね。ロックとポップスばかり聴いていたんですが、最近ぼくは音楽のルーツというものに興味がありまして。つまり、今自分がやっている音楽は一体どこから来たのかを追求していまして、その一環としてこの本を買い、ほとんど未知の領域であるクラシックに足を踏み入れようとしているわけなんですね。

 

や、そりゃベートーベンとかモーツァルトとかマーラーとかチャイコフスキーとかワーグナーとかヴィバルディとかリストとかバッハとかメンデルスゾーンとか、まあ名前を挙げるだけならいくらか知ってるんですが、今ひとつそのすごさが理解できない。

 

これって哲学でも同じで、ウィトゲンシュタインとかカントがあまりにもさっぱりだったんで、ぼくはプラトンやらアリストテレスから勉強し始めたんですが、そうすると少しずつ分かってくるんですよね。分からないなりに。あるいは絵画。キュビズム(ピカソとかね)を理解しようとするならある程度美術史の流れを理解しておく必要があるわけで、ようするに学問ってのは基本的に階段になってるわけで。いきなり上の段にはいけないんですね。なので、こうやってクラシックも基礎から学ぼうと思ったわけです。そうすれば、今自分がやっている音楽の立ち位置がもう少し明瞭になるっていうか。

 

さて、前置きは置いといて早速読み進めていきましょう。どれどれ、、、

 

「芸術」としての音楽のありようとはいったい何なのか? 端的にいえばそれは、「楽譜として設計された音楽」のことである。「設計=構成されるコンポジションとしての音楽」が芸術音楽だと考えれば、まずは民謡や民族音楽がそこから除かれる。

 

ギター片手にボロンボロンと音を探るのではなく、紙の上で音の設計図を組み立てるという知的な性格を強く帯びているのが、芸術音楽である。

 

なるほど〜。コンポジションてなんじゃ? 「構造」ね。ふむ。つまり芸術音楽は極めて建築的な性質を持ち合わせている、ってことなんですかね。

 

ここで思い出してほしいのは(中略)人々の識字率は今では考えられないくらい低かったという事実である。(中略)つまり芸術音楽は、主として西洋社会の知的エリート(紙を所有し字が読める階級)によって支えられてきた音楽のことなのだ。

 

そうか。当たり前やけど録音機器なんてないわけですから。音楽を「再現」するには「記譜」、つまり共通のコード化する必要があるわけですね。

 

この西洋音楽史の最も重要な水源の一つが、いわゆるグレゴリオ聖歌である。

グレゴリオ聖歌とは「単旋律によって歌われる、ローマ・カトリック教会の、ラテン語による聖歌」のことである。

 (個人メモ)※グレゴリオ→ルネサンス→バロック

 

おお。聞いたことありますね。グレゴリオ聖歌。むかしCDショップで働いてた時、棚のものっすごい端っこに置いてあったような、、、。

 

聖歌が生まれた中世は、現代のわれわれには想像もつかない世界だった。異端審問と火あぶり、巡礼と托鉢僧の行列、数々の災害と天変地異、悪魔の憑依、血を流すマリア像といった奇跡の数々……。

 

こんな時代に、修道院の中で絶えずこだましていたのが、修道士たちが歌う聖歌だったはずである、と書かれています。

 

それはまさに「神の言葉」ないし「神の世界で鳴り響く音楽」として響いたはずである。

 

、、、あらためて考えれば、これってむちゃくちゃとんでもないことで、ファンタジーの世界がそのまま現実だったんですよね。だって、近くにいます? 火あぶりになってる友達とか。悪魔に取り憑かれてるやつとか(これはいるかもしれないな)。

 

さ〜〜〜、ではみなさま、そんな世界に自分が暮らしていると想像して「グレゴリオ聖歌」、聴いてみましょうか。いでよYoutube!

 

www.youtube.com

 

なんといいますか、、、今とまったく違う法則で世界が動いていたんだなあ、ということが分かりますね。暗いんですが、マイナー・コードのような分かりやすい暗さじゃない。荘厳、神聖、非・肉体的な印象があります。美しいですね。

 

ただし忘れてはならないのは、グレゴリオ聖歌は確かに芸術音楽のルーツであるが、(中略)民謡のように口頭伝承される音楽であり、記譜される音楽として考案されたものではなかったし、しかも日本の声明にも似た一種の呪文、つまり言葉とも歌ともつかない存在。

 

ということは、言葉それ自体の組み合わせや連なりからメロディーというものが生じてきた、と考えられるってことですかね。

原初の音楽は、メロディーがあってそこに言葉をあてはめるのではなく、言葉と、そこから自ずと立ち現れてくるメロディーだった、と。

これは歌詞が先か、曲が先か。というミュージシャンなら誰もが一度はぶつかる問題に対する、一つの回答ですね。笑 最初は歌詞が先だったわけですよ。や、これはどっちが正しいとか間違ってるとかそんな話じゃなくて、、、って、このブログ読んでる人たちならいちいちそんなこと書かなくてもそれくらいのリテラシー備わってるか。

 

西洋に「楽譜として設計する音楽」が初めて現れるのは九世紀、グレゴリオ聖歌を母胎として生まれたオルガヌムというジャンルにおいてである。

 

さて、見事に引っ張っておきながらここで少し音楽史から離れて、岡田さん(著者)、時代背景を説明してくれます。この焦らし上手っ! なんとこの本、歴史まで学べちゃうんですね。すごい。頭賢くなる本(アホの感想)。

 

古代ギリシャ・ローマ文化はゲルマン人の侵入によって一度解体された(中略)ヨーロッパが再び統一的な文化圏を形成するようになるのは、カール大帝(800年戴冠)のフランク王国以後のことである。

カール大帝が統一したのは、今のイタリア北部とドイツおよびフランスのほぼ全域だった。(中略)つまり芸術音楽のはじまりは、時代的にほぼ西洋世界の成立と一致しており、そしてこの西洋世界とはイタリア・フランス・ドイツの文化トライアングルのことだったのである。

 

ほんまにこんなこと学校で勉強しましたっけ? もっとちゃんと勉強しとくべきやったな、、、ノートに「俺が選んだロックの名盤ベスト100」とか書いてる場合じゃなかった。ロックが悪いんやロックが、、、。

 

というわけで、このフランク王国(フランク永井が王様の国ではない)(分かってる)(しょうもない)成立のあと、グレゴリオ聖歌が紙に書かれるようになります。ただ、当時のネウマと呼ばれる楽譜は、五線譜とはまったく異なっていて、歌詞のとなりに節回しをあらわすミミズが這ったようなさまざまな記号をつけるものだったそうです。

 

f:id:haruichi_semon:20200509172014j:plain

 

ネウマ。wikipediaより

 

この九世紀の音楽史における最も重要な事件は、『ムジカ・エンキリアディス』という理論書である。

 

https://livedoor.blogimg.jp/matsukaze_eclipse/imgs/5/b/5bf2b1a0.png

 

(中略)上の線はグレゴリオ聖歌を、下の線は新しくつけ加えられた対旋律(オルガヌム声部)を示している。つまり人々は、聖歌をただ単旋律で歌うだけでは徐々に物足りなくなり、もう一つの旋律をそこに重ねて歌うようになったのである。これまでたった一本の横の流れしか知らなかった単旋律の音楽思考に、縦の次元が加わったわけである。このようにグレゴリオ聖歌に新しい別の声部をつけ加え、それと重ねて歌うジャンルを「オルガヌム」と呼ぶ。

 

えっ。いきなり面白すぎませんか? おそるべきは人間の貪欲さ、といったところでしょうか。「詩は歴史性に対して垂直に立つ」という稲垣足穂の至言がある、とやたらめったら中島らもがあちこちで書いているんですが、なんとなくその言いたいことがここで分かる気すらします。縦軸が生まれればヴァリエーションが現れる。交差することによって新しい響きが作られる。云々。

 

当時はまだ、ゼロから何か曲を作るという意識はほとんどなかった。「曲を作る」とはグレゴリオ聖歌に何かを少し加える、つまりそれを編曲することだったのである。これは中世における美術の状況とよく似ている。つまり当時は、絵画といえばほとんど宗教画と同義で、描かれる主題は聖書に取材した場面ばかりであって、しかも主題ごとにそれを描く構図は前もってほとんど決められていた。(中略)時代が下るにつれて、グレゴリオ聖歌がオルガヌム声部(新しく加えられた声部)より下に置かれることが多くなる。つまり最初は上に置かれたグレゴリオ聖歌を飾るものだったオルガヌム声部の方が、曲の主眼になってくるのである。(中略)十一世紀から十二世紀初頭になると、かなり独立した動きをするようになる。聖歌の旋律と逆の方向に動いたり(反進行)、長く引き延ばした聖歌の上に細かい装飾的な旋律がつけ加えられたり(メリスマ・オルガヌム)するようになるのだ。

 

どはー、ですよ。どはー。なるほどねえ。これはグリコですよ、グリコ。いつの間にかおまけがメインになってる、っつー。

 

ただし西洋芸術音楽のこれら最初期の様相は、あくまで想像上のものにすぎず、具体的なことの大半は闇に包まれたままである。古い資料からある程度のことは察することができる。だが、これら初期オルガヌムがいったいどんな風に鳴ったかは、永遠の謎であり続けるだろう。

 

つまり、上に貼っつけたyoutubeのリンクも、まああくまでも想像上のもの、ってことですね。

 

さて、この中世音楽が爆発的な発展を見せるのは、十二世紀末のノートルダム楽派の時代からだそうで。

 

第一回十字軍がエルサレム奪還に成功し、十二世紀において教会は、王をも凌ぐ絶大な力を手にした。(中略)宗教者たちは人々に自らの権力を誇示するようになる。この時代、フランス各地では続々とゴシック教会が建築される。天にも届かんばかりの尖塔、入り口を埋め尽くす彫刻群、そしてこの世のものとも思えないステンドグラスの不思議な色彩ーーそれは地上に再現された神の家だった。(中略)ノートルダム大聖堂がほぼ完成したのが1250年。(中略)このノートルダム大聖堂を中心に展開したのが、ノートルダム楽派の音楽だったのである。

 

ノートルダム楽派はレオナンペロタンという二人の「作曲家」の存在によってつとに知られる。(中略)レオナンは、さまざまな教会儀式のためのオルガヌムを体系的にまとめ(『オルガヌム大全』)、ペロタンは、これらのオルガヌムをさらに大規模に改編したといわれる。

 

おっ。出てきましたね、ようやくここに来て人物の名前が! レオナンとペロタン。ゆるキャラみたいな名前しやがって。

 

レオナンの曲は二声のごく繊細なもので、引き延ばされたグレゴリオ聖歌の上に、宙を漂うようなオルガヌム声部が細かく飾られるメリスマ・オルガヌムである。

 

つーわけでいってみましょ。レオナンっ!(召喚獣を呼ぶ口調で)

 

www.youtube.com

 

確かに! 低いところに長いメロディーがあって、その上に細やかな声部がある!

グレゴリオ聖歌、進化してる!!!

 

ペロタンの曲は、比較にならないくらい規模が大きく、ほとんど「中世のシンフォニー」と呼びたくなるほどだ。編成は四声へと拡張され、低音で轟くグレゴリオ聖歌は巨大な石柱を思わせる。そしてその上にリズミカルなオルガヌム声部がのせられる。

 

www.youtube.com

 

ペロタンすげえ!!! ペロタンすげえよ!!! 友達がペロタンやったら感動するわおれ!!!

 

ペロタンの曲のこの舞い踊るようなリズムは、この時代からようやく、音高だけでなく音の長さ(リズム面)もある程度表記できる楽譜システムが考案されたことと、密接に関係している(モード・リズム)。おそらくそれまでの音楽は、まだまだ言葉から完全に独立しておらず、したがって歌詞を適切な抑揚で唱えていればおのずとしかるべきリズムになる(中略)要するにお経などと事情は同じであって、わざわざ楽譜で書かずとも、言葉の抑揚が自然に適切なリズムを導いてくれるのである。しかるにペロタンの時代から初めて、音楽は言葉の抑揚から解放され、音楽固有の時間文節の法則(リズム)を追求するようになった。

 

めちゃくちゃ面白くないですか? ねえ、ねえって!!!!!(うるさい)

言葉本来が持つ抑揚、重力を外す役割としてのメロディーとリズム! 枠組を作って、そこにはめていくという、、、極めて分析的なアプローチ。分類と再現。形式化。

 

ペロタンらの曲は、今日の多くの人にとって、まるで異世界の音楽のように響くはずである。この違和感にはいくつか理由があるのだが、その最大のものは和声感覚の違いだ。われわれにとって「和音」といえば、たとえば「ドミソ」のことであるが、中世においては「ドミソ」は不協和音だった。つまり「ミ(三度)」が入っていてはいけなかったのである。ためしにピアノで「ドミソ」と「ドソ」を弾き比べてみてほしい。柔らかい前者の響きに対して、後者はどこか尖っていてまろやかさを欠く、空虚なものに聴こえるはずだ。だが中世の人にとっては、このーー近代の和声法では「空虚五度」と呼ばれて禁則とされるーー「ドソ」の響きの方が「正しかった」のである。つまり中世においては禁欲的で峻厳で威嚇するような響きこそが求められたのであって、音楽はーーわれわれがついそう考えがちなーーどこかしら甘美な存在ではなかったのであろう。

 

はー、面白すぎる。つまりこと音楽に限っていえば、「絶対的な正解」ってものは存在せず、あくまで「時代が決めた正解」しかない、と。だって昔は「ドミソ」、不協和音だったわけですから!

この話を読んで真っ先に思い出したのがカートなんですよね。徹底的に「ドソ」、五度のパワーコードを使い倒したカートにとって、音楽は甘美ではなく、禁欲的で峻厳で威嚇するような「ドソ」の響きが正しかったのかもしれない、と。

もしかするとそんな領域でロックを鳴らしていたのかもしれませんよね。むちゃくちゃな繋ぎ過ぎますかね?笑

 

www.youtube.com

 

おお、書き疲れた、、、今日はここまで。ここまで書きゃ、まあ続き書かなくても十分面白いでしょ。自分の備忘録としては、、、。