真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

元王様の私的で詩的な財宝その1 Graham Fellows「Weird Town」


Graham Fellows「Weird Town」

 

一ヶ月の禁酒を終えて、馬鹿みたいに酒を飲み、昔のように転げ回っている。

 昨日はバンドメンバーの辻くんと昼間からボートピアで舟券を買って酒を飲み、晩は俺の家に高校時代の恩師(俺はこの人からジャパニーズ・ロックを仕込まれた。キヨシローとかルースターズとかね)とその奥さん、そして旧友のNを招いて酒宴を開いた。痛飲した。しかし本当に一日中酒を飲んでいた。

 で、飲みすぎたあとのツケを当然払うことになる。俺の家で飲んでいるということは当然後片付けは目覚めたあとの俺が一人ですることになるわけだ。

  二日酔いで痛む頭。くらくらしながらどうにか洗い物をして、テーブルを拭いて、コーヒーを飲んでようやく一息。なにか本でも読もうと思い、小島信夫なんかを手にとってみるがちっとも頭に入ってこない。頭の中がまだとっちらかったままなのだ。

それなら仕事をするか、あるいは曲でも作ろうか。

  もちろんそのどちらも実行されなかった。俺はぼさっと秋の光が射し込む部屋の中を見渡して、ふと村上春樹の「1973年のピンボール」のことを思い出した。

本棚のどこかにあるはずだが探す気にもなれない。そして、俺と「1973年のピンボール」の関係はそれで良かった。そういう結びつき方をしている本なのだ。

  頭の中で様々な雑念、未来への不安、まあそういう諸々が立ち上がり続けるので、なにかすることは諦めて音楽を聴くことにした。

 

Graham Fellowsというアーティストのことを知っている人はそれほど多くないはずだ。1985年にリリースされた「LOVE AT THE HACIENDA」というアルバムがネオアコの名盤扱いされていて、一昔前までかなりのプレミア価格で取引されたりしていた。

美メロの宝庫だが適度に力の抜けたアルバムで、折に触れては聴いていたのだが、いつの間にかすっかりその存在を思い出すこともなくなっていた……が、なぜなのか、ふと、今ってなにしてるんやろ、グラハム。と、会ったこともない彼の近況が気になり、そこは便利な時代で、Spotifyで検索すると、なんと2018年に新譜が出ている。

 再生した。聴いた。まいった。頭が静まった。

 酒のせいではない、本当はずっと前からざわざわとしたものがあることに気づいていた。見て見ぬフリをしていた。今それが消えた。誰もいない学校のプールのようにしんとした頭の中に、落ちていたものがあった。

俺はまたしても、大切なものを失ったのだ。

そうかそうか、と俺は思う。しかし今になってようやく追いつきてきても遅いのだ。もう俺は取り戻せないほど遠くに来てしまった。

 メロディーは記憶の中でゆっくりと懐かしい哀しみの像を結び始める。よく晴れた日に、川沿いの道を下って、橋を渡って、花束を持って、微笑みながら、手を振る人がいる。

いや、やはりそれは哀しみなんかではない。確かにあの瞬間にあったものは「優しさ」だったじゃないか。

ちっとも見えてないな。いつだってそうだ。

間抜けなやつだ、と俺は俺に思った。

この音楽が終わったら、立ち上がって、洗濯物でもすることにしよう。それが済んだら、今日はもうなにもしないのだ。やってなんかやらないのだ。

俺はそんなことを考えながら、ぼんやりと椅子にもたれかかり、ずっと「Weird Town」を聴いていた。音楽は30年以上、Graham Fellowsを待っていたのだ。違う、そうじゃない。グラハムは30年以上、この音楽を待っていたのだ。