真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

祝サブスク解禁! Syrup16g全アルバムレビュー⑥『darc』


darc

 『darc』
はっきり言ってこのアルバムをレビューするために俺はこのSyrup16gレビューを書き始め、そして五十嵐とともに歩みここまでやってきたわけであり、とにかくこのアルバム『darc』というアルバムが正当に評価されてほしい、過去作を集めた『delaidback』の方が売上が良くてきっと拗ねているであろう五十嵐に、「いや、俺はこのアルバム好きやで。っていうか最高と思ってる」と言ってやりたい。
タイトルは覚せい剤治療でおなじみ、ドラッグ・アディクション・リハビリテーション・センターからで、まさかジャンヌ・ダルクからではないですよね? いや、聖性とかさ。そうそう、俺はこのアルバムに一種の「聖性」のようなものを感じてるんですよね。え、いや、どこが? とお思いの方たくさんいらっしゃるでしょうが、このアルバムは沈みかけていると知っていてなお前に進む、あるいは太陽に翼が焼かれると知ってなお高く飛ぶ、そんな究極の諦念によって編み上げられた、まさに五十嵐隆という人間の哲学が行き着いた先の(先端恐怖症だと彼は言うけれど)アルバムだと思ってるんですよ。
そのことが分かっている人間が、
 
最強の駄作にして
この中毒性、抜けられない、やめられない
ダルく

 

断続的に聴いてみてください。
芯を捉えると、これほどの名盤はないと感銘を受けるでしょう。
閉塞・固定されながらも観音開き・縦横無尽です。
‘’一応’’臨戦状態ではとうになく‘’既に’’五十嵐は闘いを卓の上で展開しています。
 
私も1度目に聴いた時に聴きにくく埋もれた印象を感じました。
しかし少し時間を置いて何の気なしにかけたら、一曲目の入りで心を掴まれハッとするのもつかの間その勢いのままに二曲目で拉致されます。
トータルを意識して聴くと、感覚的にですが、pascal comlade「Detail Monochrome」のような愛嬌のあるボーダーフリーな具合で五十嵐の意識に身を削る軌跡が見えてきます。
 

 

Amazonレビューにもたった二人だけいます(おかげでpascal comladeというアーティストに出会えました。ラッキー)。
もはや唄うことがなくなった、というようなことをのたまう五十嵐の、叫びたいことすら失った魂が、かつて叫んでいた、ただそれだけで、その形だけでこうして叫び続けている。こんなアルバムはそうそう出会えるものじゃありません。
かつての叫びを求めるならば、まさにこのアルバムは「駄作」であり、「閉塞・固定されながらも」しかし(もしかすると多くの人がそうであるように)生きる理由などなくても生きていく、後戻りも前に進むことももはや同じことならば、ただ前に進み、唄う。確かにこれは「観音開き・縦横無尽」であり、生への闘争ではなく生そのものが闘争であり、命が命を全うしようとするその過程そのものを表現した、そう見立てるならば「これほどの名盤はないと感銘を受ける」に違いありません。
 
というわけで、不穏なコーラス、呪術的なドラムから始まる 1曲目「Cassis soda & Honeymoon」。もうまずタイトルからして完璧ですよね。血・女性を連想させるカシスソーダと、新婚・蜜月を意味するハネムーン、という単語のカクテルの色との対比。まさに魔術的な詩的跳躍でしょう。言葉と言葉が接続し、豊穣なイメージの海にアクセスし、あらたな連想を導き出す。
 
戦争してる君の目に
何を歌う 言葉は無い
 
体操してる老いぼれに
何を語る 言葉は無い

 

この出だしの歌詞も完璧でしょう。五十嵐が幾度も取り扱ってきた戦争物ですが、ついにここで歌う言葉を無くします。そのまま戦争、で脚韻を踏んで体操している老いぼれ、という殺気を孕んだ言葉に繋げる天才的な言語センス! 
 
and she said
Your lights goes down, going down
世はLIEと業だ 強引だ

 

そしてサビ。『Hurt』1曲目、つまり再結成1曲目の楽曲が「Share the light」=(個人的な見立てによれば)「音楽という光を共有する」という動機から、再び生還した五十嵐でしたが、その「light」は沈んでゆく、と。「going down」だと。その深刻な歌詞に「世はLIEと業だ」と無理やりに韻を踏み、その無理やりな韻を自分で「強引だ」と茶化してみせる。つまりふざけてるんですよ、この男は。ふざけて、苦笑しながら目は笑っていない。
で、この曲で一番すごい歌詞が、
 
メメントモらず
静粛に 誠実に
メメントモらず
受け入れる スケベな内に

 

ここです。メメントモリ=死を想え、なので、「死を想わず」欲望がある内に受け入れよう、と。あの五十嵐が! 死を想わずに!
最後で「受け入れる振り」なんてまたややこしいこと言っちゃうけど! すごいですよ。メメントモリという、暗に悟りを意味するようなタームから一人離れて、もう一度俗世へと、汚れへと足を進めて、死を想わずに迷い、傷つき、恐れよう。と。こんなことを言う人間なんてどこにもいない!
こんなことを言って、次に唄うのが
 
愛憎は泥酔の海
クラゲみたい それじゃ不満
 
大西洋は挟まずに
連れてきたい それじゃ不満

 

これ! やられますよね。泥酔、クラゲ、、、。足腰の立たないふにゃふにゃした状態から、次のヴァースで一気に立ち上がって「大西洋は挟まずに連れてきたい」ですよ? このスピード感!
「Cassis soda & Honeymoon」、五十嵐隆の今の(この時点での)哲学が凝縮された、究極の一曲だと思います。
2曲目「Deathparade」、この曲を見事に解読しているのがYoutubeに上がっているMVのコメントで、
 
10階の窓から落ちたら間違いなく死ぬが、樹海に彷徨う事はその限りではない。
人生論的には全滅でも、存在論的にはまだ可能性が残されているのだ。
「死」と「死の運命」を沿うことは似ている様で全く異なるってこと! 
 

 

う〜んすごい。よくここまで見事に考察できたもんだなあ、と感心しますが、その見立ての歌詞がこちら。
 
Somebody kills me
そんないないね
なんて安穏は
一瞬で廃れた
 
Somebody kills me
存在しないで
10階の窓から
樹海の中に

 

somebody、ってのは再結成Syrup16gに対して期待外れだったお客さんのことでしょうか。なんにせよ、遊体離脱のMVの飛び降りのように、常に死を想ってきた五十嵐はここでもメメントモらず、受け入れる振りをして樹海の中を彷徨います。そして「強引だ」と前曲で自嘲しながら唄ったように、
 
So many death
沿う 運命にです
Deathparade

 

という、むちゃくちゃな語呂合わせがサビで唄われます。死の行進だと知りながら、運命を享受し、どこまでも沿い続けて生きていこう。という明るいのか暗いのかさっぱり分からない歌詞なんですが、白眉は
 
怒りは夜勤の痕に繕う羽
不条理と刺し違えても
容易く消えたアイロニー
聞こえる 生きとし生きられぬ声を

 

ここでしょう。やる気ですよこの男。不条理と刺し違えても、って。むちゃくちゃ戦闘モード。そして、生きとし生きられるものの声を聞いた以上、今までのように生死に対してアイロニカルな歌詞は唄えないのだと、それは今の自分にとってはポーズなのだ、と、そう宣言します。
聴けば聴くほど不協和音、ブッ飛んだ強引なメロディーが癖になる疾走ナンバーです。
3曲目「I’ll be there」。完璧。名曲でしょう。
 
痛みが終われば
悲しくなれる
 
希望のつぼみが
枯れないように
 
生き急いでるような景色を
選んで見せたかったけど
君が側にいないのを
誤魔化して来ただけなんだよ

 

あのね。アレンジも(意図的なんでしょうが)全然凝ってないし、ボーカルのテイクはもっと選ぶべきだし、音質は良くないし、歌詞もバカみたいに単純だし。
それがとてつもなく圧倒的なリアリティーを持って迫ってくるんですよね。
この生々しさ。そして、
 
他人の振り その他と変わりない
自分に興味が少ない

 

もはや自分自身に対する興味すら失ってしまった五十嵐の生。この人は、もう本当に唄うことがないんですよ。死んでるんです、本当なら。死んでいるはずなのに唄っている。奇跡ですよ。これがどれだけすごいことか分かりますか? 心臓が止まっているのに動いているようなものなんですよ。奇跡、と呼ぶ以外にありえないんです。
4曲目「Father’s day」、死んだ父への曲ですね。変拍子が不気味で、ほとんど感情が読み取れません。なんとも掴みどころのない曲です。まさに死んだ父こそ、五十嵐にとって「生きとし生きられぬ声」だったのかもしれません。もっとも死、黄泉に接近したこの曲から、後半戦、5曲目「Find the answer」、再び答えを探しに五十嵐は旅立ちます。
全歌詞引用したいくらいに素晴らしいのですが、、、ええと、どうしようかな。いや、むしろみんなこれは調べてください。笑
ひとまずサビだけ。
 
太陽の船
いずれ海原へ
Find the answer
 
吐きそうだ御免
In the end 泡沫へ
Find the answer

 

この「太陽の船」という言葉の輝くイメージもさることながら、その進みゆく海路の上で、いわば生の揺り戻しのようなもの、海原の波、つまり自分自身の足取りに吐き気を覚えつつ「In the end 泡沫へ」、死へと突き進んでゆく。凄まじい一貫性です、このアルバムは。まったくブレていない。そして、ちょっとありえないくらい五十嵐の格が違っている。凄まじすぎて寒気がするほどです。
6曲目「Missing」。
 
それじゃまるでお前を苦手な人が
いないみたいじゃない
いい気なもんだ

 

歌謡テイストのこの曲の歌詞は全体的に自嘲で貫かれています。
 
I can’t stand it for love
閉じ込めて 行方不明の君の
I can’t stand it 不応 love
亡骸を泣きながら捨てに行く

 

ここでも強引な語呂合わせが炸裂していますね。英文の意味は、愛のため、には耐えられない。反応しない愛には耐えられない。というところでしょうか。
 
ただの大丈夫な人でいいじゃない
そうでしょう
コンディション最悪の時もそばにいてくれる
ただの最悪な人でいいじゃない

 

これが自分に向けた言葉なのか、それとも誰かに向けた言葉なのか分かりませんが、よくまあこんな心情まで吐露できるな、と。
そして、
 
砂漠に見立てた 砂場のような
墓標にさよなら もう充分さ
 

 と、やはりこの曲でも五十嵐の主張はブレず、亡骸=過去の亡霊を葬り去り、ただゾンビのように前へと歩みを進めていきます。いやむしろ、歩んでいるその先がただ前である、それだけなのでしょう。

7曲目「Murder you know」、まだ言うの? とここでも強引な語呂合わせ。徹底しています。名曲。
 
観たいシーン集めた映画のような
物語なき毎日を続けてゆくなんて困難だ
 

 かつてデイパスで「歌になんない日々はそれはそれでOK」と唄った男が、一周回ってその日々をこそ肯定します。特別なシーンの集まりではなく、物語とはむしろなんでもない日々の、つまり反物語の積み重ねによって成立しているということ。

 
新しい出会いや出来事が
もたらせるのは混沌と後遺症だけ
そう思っていた

 

そしてこの言葉ですよ! 『Mouth To Mouse』期の歌詞とは違う、脱力した素直な言葉。この素直な言葉を吐き出すまでに、一体どれだけ長い旅を五十嵐は歩んできたのか? 最後に、今までのSyrup16gとは、五十嵐隆とは決定的に違う今回の『darc』に対してのファンの気持ちを代弁してこの曲は終わります。
 
これじゃない これじゃない感
 

 

うーん、完璧でしょう。ここまで何重にも言葉の網を張り巡らせて、ラストトラック「Rookie Yankee」、自分はルーキー・ヤンキーだと五十嵐は宣言します。
 
臥薪嘗胆して味覚障害
 
復讐のために耐え続けて、麻痺して。
 
別行動に気付かず 実のある修学旅行
 

 

一人だけ違うところに行って、それでもそこに「実」を見出す。
そして、
 
人の気持ちも 固有の気持ちも
搾りきって 全部で死のう

 

そうルーキー・ヤンキーは宣言して『darc』は幕を閉じます。
全アルバムレビューと銘打っておいてなんですが、このあとの『delaidback』は過去作品の詰め合わせで、五十嵐のファンサービスのようなものなので特に書くことはありません。気が向いたら書きますが、、、。それよりもぜひ、『darc』を聴いてほしいです。人間の精神、その極北を垣間見れる奇跡のようなアルバムだと思っています。
 
というわけで、長々ダラダラとやってきたレビューもこれで終わりです。良かったら過去のレビューも読み返しつつ、Syrup16gのアルバムを聴き直す機会にしてもらえたら、と思います。それでは。読んでいただきありがとうございました。