真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

瀬門春壱の「週報」7/20〜7/26

物事が終わりゆくその様のみを切り取れば、蛹は蝶になった瞬間に「蛹」としては死ぬわけだが、しかしその死こそが新たな「蝶」としての生である。
まあこんなことは理屈として分かっていて、あとは身体にどう染み込ませるか、それ以外にはない。
「体得」という言葉があるが、まさに物事は頭ではなく身体で分からなくては自分のものになったことにはならないのだ、と昨夜のことを考えながら帰る道すがら、あまりにも急ピッチで飲んだ酒が悪かったのだろう、転倒し、肋骨をしたたかに打ちつけて地面に倒れる。
は、ざまあみやがれ。と自分に言いたい気分でそのまま地面に寝転がっていると、後ろからやって来た若い男に「大丈夫ですか」と声をかけられたので立ち上がる。
肘のところがべろりとめくれ上がってる。自分は今確かにちゃんとなにかを受けたのだ。これでいいのだ、と思う。
 
 
 
 
某ライブハウス四連勤。そしてひとまずひと段落。本当に夏とは相性が悪い。頭が茹ってなにも考えられない。すぐにへばってしまう。このままじゃダメだ。そろそろペースを取り戻さないと生活が乱れている。引き出しの中にゴマをこぼしたまま片付けられていない。
この日記もたったこれだけ書き進めるのに、何度も書いたり消したりした。おそらく自分のリズムに乗れていないのだ、今は。まあそういう時期もある。こういう時は徹底的に自堕落してしまえ、とも思うが、もう充分に自堕落はした。ムード。物事は場が呼び込む。場を形成する必要がある。これは個人的なメモ。
 
いや、いっそ大きな声で「疲れた!」と正直に言ってしまうことが今の俺には必要なのかもしれない。なんにせよ天秤は傾き始めた。七月はあまり良くない月で、俺はその良くなさを楽しみ尽くした。次は良い月を味わいたいが、俺の気配はまだこの受難は続きそうだと睨んでいる。