真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

瀬門春壱の「週報」6/15〜6/21

神戸某ライブハウスでBuffalo Daughterのライブを観る。あなどっていた、まさかこれほどまでに素晴らしいショーだとは!
神々の遊戯、とすら呼べるような圧倒的な演奏・表現に終始感動する。
ライブを観終えたあと、バー「アビョーン・プラス・ワン」に向かい、フランス文学者のエス氏と彼の連れの《短くも美しく燃え》と合流して酒を飲む。
中島らもの小説にも出てくるエス氏とは、二度ほど対面したことがある。俺は彼の大ファンで、ある日、どうしても会いたくなってもらった名刺に書いてあるアドレスにメールを送り、一対一で会う約束を取りつけたのだが、呼ばれて向かったバーでエス氏が女性を口説いている、いやむしろ女性に口説かれていたのを見て、一体俺はこんなところでなにをやっているんだ、と突然の自己嫌悪に苛まれてそのまま話をせずに帰宅する、というとんでもない無礼を働いたことがあるのだが、その話の謝罪もすることができてよかった。
「アビョーン・プラス・ワン」は村八分やラリーズ、EP-4、はたまたブリジット・フォンテーヌのCDが置いてあるところからも分かるように、とても好みの雰囲気のバーで、移りゆく話のテーマの中に登場する寺山修司や土方巽の名前を聞きながら、中島らももこうやって押し黙りながら話を聞いていたのだろうか、と思っていた。
 
店を出るとひどい雨だった。タクシーに乗り込んで帰る。
 
 
 
 
《短くも美しく燃え》と王子公園にある「カラピンチャ」で昼食をとる。ちゃんとしたカレー。美味い。満足。かつて王子公園に住んでいたころ、俺はバイトを3つもかけもちして稼いでいたはずなのだが、「とりひげ」以外の場所にどこにも出かけたことがなかったのは一体どうしてなのか。いや、出かけてはいたのだろうが、あまり記憶がない。そもそも稼いでいたと言ったが、金があった試しもない。おそらく全て酒に消えたのだろう。おそろしいことだ。
この街に来ると、一体あの毎日はなんだったのだろう、といつも思う。狭く散らかった部屋と、出入りしたたくさんの人々。あれらはすべてどこに行ってしまったのか。本当にあんなことがあったのだろうか。俺はなにを大切にして、誰を大切にできなかったのか。
時々俺のような人間がのうのうと生きていることに苛立ちを感じるが、しかし俺はどうしようもなく愚かだったのだ。今となっては苦笑いするより他にない。
 
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大阪で古い友人と会って少し飲む。もう随分長い付き合いで、よくもまあお互いに生き延びたものだと感心する。
会うのは年に一度か二度。連絡もあまりとらない。それでも心のどこかにいる。お互いに思い出した時、その時間の中にだけお互いが生きている。
 
酔いを冷静に観察できるくらいの状態で帰宅している途中、俺に人生で一番大きな、と言っても過言ではないくらいのコペルニクス的転回が訪れた。
なんと言えばいいのか、、、物事の別の側面が見えるようになったのだ。
 それはもしかすると子供のころには見えていたものなのかもしれないが、つまり、自分の価値観というものがいつの間かフレームの中に押し込められているのだ、と気づいた瞬間に俺はこの現実という名の書き割りのトリックを見破り、シュタイナーが言うところの超感覚的世界と接続した。
ヴァン・ゴッホはまさに見たままにあの絵画を描いたのであり、芸術とは善・悪関係なく、無邪気な視線で現実そのものを残酷なまでに表現することなのだ。
俺はイメージによる支配を打ち破った。光=善ではなく、闇=悪でもない。いつの間にこんな価値観が俺の頭の中に植えつけられていたのだろう!
漆黒の闇の美しさを、創造力が湧き出る夢の泉を、いつの間に俺はないがしろにしてしまっていたのか。
 
眠り、夢、覆われて隠されたものにこそ神秘は生じる。人生とは「問い」であるからこそ美しく、その人生を生きる以上、自身もまた「問い」なのだ。
 
涙が出るほど下品なTVの、薄汚い連中の欲望の視線からもう一度謎を、闇を、夜を、夢を取り戻せ。誰かに消費されるな。
 
 
 
 
朝から神戸某ライブハウスにてアーティストのプリプロ作業に立ち会う。別に自分にできることはそれほどないが、少しでも良い作品が作れるように導くことができれば、と思う。
 
そのままある仕事に向かって働いていると、前方にいる二人組の女子高生のうち一人が追い抜きざまに「お疲れ様です」と声をかけてきた。一瞬意味がよく分からず立ち止まったのだが、彼女は歳にまったく似合わない穏やかな微笑みを浮かべたまま静かに黙っている。ようやく俺がああ、お疲れ様です。と返して通り過ぎると、「平和だなあ」という声が後ろから聞こえた。
その言葉で彼女は、本当に、純粋に見知らぬ誰かへの労いの言葉をかけたのだと気付き、深い感動に打ち震えた。
そんな心を持ち得る人間が一体どれだけいるだろうか? 願わくば彼女の一日に祝福がありますように。
 
 
 
 
甲東園「バードランド」にて練習。「The Bell(鐘は三度鳴る)」「おいてけぼりのうた」「BGMが流れる」「僕が王様だったころ」という比較的新しい曲群を練習。こっちは良い感じだが、どうも既存曲のアレンジで気に入らないところがあり、何度も修正をかけてみるが、、、難しい。
もう一曲、少し前に持ってきた新曲のアレンジにも手間取る。シャッフルの曲で、ビートルズに結びつければ簡単に解決するのだが、もう少し違ったアプローチを、、、と考えて今回もタイムアップ。この日記を読んでくれている奇特な人たちのために歌詞を貼っておきます。え? ああ、そうです、ランボー風です。笑
もっと音楽に時間を割きたい。自分の時間を手に入れたい。
 
「人生」
 
いつかの言葉を抱きしめ
キンポウゲの花が咲いている夏の畦道を
口笛を吹いて一人
風を道連れに地獄まで歩いていく
 
お前が望んだことだろう?
バラバラに破いた手紙は宙に舞うとすぐ
魔法のように燃えてしまって
どこからか深い闇が流れ込んでくると
俺を取り巻いた
 
もう戻れない人生
憶えていて 忘れないで 遠い記憶の彼方で
求めあった声が
叫んでいる 響いている いつまでも
 
並んで座ってるだけで楽しいね、と君が笑った
その瞬間、俺の苦しみは消えてしまって
愛するとはなにか少し分かった気がした
神秘に近づいた
 
もう止められないなんて
行かないでくれ! 振り返ってくれ!
時間・空間の狭間で
もう一度会えたって
言えない だけどその姿を焼きつけたい
 
暗く静謐な入り江から星が立ち去って
鶏の鳴く白い朝が流れ込んでくると
俺を取り巻いた
 
もう戻れない人生
憶えていて 忘れないで 遠い記憶の彼方で
求めあった答えは
輝いている 煌めいている いつまでも!
 
 
 
 
今朝。一つアイデアが思い浮かんだ。それはもしかすると今までの自分がやってきたこと、あるいは出会ってきた人が有機的に連結することであり、自分にとってのライフワークのようなものになるかもしれないと思えた。早速友人に連絡を取る。
 
コリン・ウィルソンは「結局のところ物事は目で見ているのではなく、脳で見ているのである」というような趣旨のことを書いていたが、本当にその通りで、俺は目の前に広がっている美しい星空を通り過ぎるような人間にはなりたくない。
そういうことを、世の中に向かって話すことができればと思う。考えるのだ。まだ見ぬ本を読み、音楽を聴け。俺たちが賢くなればなるほど世の中は良くなる。もちろん絶望の度合いも共に深まってはゆくだろうけれど。
 
書き終えて、今少し日記を読み返したのだが、一週間の間にこんなにも俺の心は揺れ動いている。幸せな男だと思う。