真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

祝サブスク解禁! Syrup16g全アルバムレビュー②『delayed』『HELL-SEE』

祝サブスク解禁、Syrup16g全アルバムレビュー、前回の記事はこちら。
 
 

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『delayed』
 
 2002年9月25日発売の3rdアルバム。
五十嵐という男はものすごく多作で、五十嵐が書きためていた・あるいは過去にデモとしてリリースしていた音源を寄せ集めた、名前の通り「遅れてきた」楽曲ばかりが収録されています。
 
「センチメンタルな恋はどうしようもなく破綻してくもんで」と唄われる「センチメンタル」、オリエンタルなリフと「左手あげて横断歩道渡っているの誰」という歌詞がそこはかとなく不気味な「Everything is wonderful」、脱退したベース佐藤に捧げられたというミスチルでいう「Tomorrow never knows」的立ち位置(Bankbandにもカバーされてましたね)にして一般的に大名曲として認知されている「Reborn」、BUMP藤原がコーラスで参加している「水色の風」、「君はひとりぼっちでいつでも空とばかり話してた」と、のちの「吐く血」などにも見られる病に罹患した対象を見つめる描写の萌芽が見られる「Anything for today」、「夢を見せて 土曜日の午後に」と『COPY』の「土曜日」のイメージを強化する歌詞が冒頭に現れる、個人的にこのアルバムで一番好きな「サイケデリック後遺症」、1番最初に作られたデモテープの2曲目にも収録されているこれもメロディが美しい、そして五十嵐らしいネガティブな歌詞が炸裂する「キミのかほり」(まさにデモテープの1曲目に収録された「翌日」と「キミのかほり」の二面性、落差こそが五十嵐という男を象徴しているように思います)、「落ちない飛行機で君の街まで飛んで行けたなら」という歌詞が凄まじい「Are you horrow?」、ライブでの定番曲、「アブノーマルなことして吐き気もよおしてたりして 人間嫌いなフリして 本当に嫌いだったりして」と五十嵐の二面性が露わになるハードでダークな「落堕」が終わると最終曲(正確には一番最後に弾き語りバージョンの「Reborn」がボーナストラックとして収録されているのですが)、最後のデモテープ『Syrup16g03』の2曲目に収録されていた「愛と理非道」でこのアルバムは幕を閉じます。
 
愛と理非道
双方 日常と非日常に依存し
腐敗していく

 

「リビドー 愛 嘘 刹那」と唄われた『COPY』収録「(I can’t)change the world」に通じる歌詞が見受けられます。
で。
 
これは完全に個人的な話なのですが、昔ある人がこの曲の「希望は誰かの手だ 俺は持っていない」という歌詞を取り上げて、「希望は誰かの手にある、という意味で取るのが普通だろうけど、もしかするとこれは『誰かの手そのものが希望』なのではないだろうか」と言っていました。
その時は、まあ解釈っていうのは人それぞれで面白いからいいよね、と思いつつも、しかしやはりその意味合いではここは絶対に取らないだろう、と思っていました。
 
しかし、前回のレビューを書いている時に気づいたのですが、前アルバム『coup d’ Etat』の同じく最終曲「汚れたいだけ」で、「探してみたってもう 見つけられるのは自分の手」と五十嵐が唄っていることに気づきました。
この発見により、もしかすると五十嵐はやはり「誰かの手そのものが希望」だというニュアンスを込めて、「汚れたいだけ」と対応させるためにこの楽曲をここに意図して配置した可能性があります。
このことに気づいただけでも今回のレビューに価値がある、というくらい大きな発見でした。
 
さて、今回のレビューはここまで一気に駆け足で来ましたが、楽曲の質は佳曲揃いながらやはり過去楽曲の寄せ集め、ということで、けだるいムードは一貫しているものの、コンセプトらしきものは特に見当たらず、解説するところはあまりありませんでした。強いて言うならば五十嵐が自分のトラウマとあらためて向き合ったのがこのアルバムです。
 
『COPY』『coup d’ Etat』と進んできた五十嵐のストーリーは次の『HELL SEE』に繋がります。
 
 
 
 
 
『HELL SEE』
 
 2003年3月19日発売。「健康的」と「地獄を見る」がかけられた15曲入り1500円のこのアルバム(五十嵐曰く「1曲100円でいいから聞いてくれ)」はローファイな音作りが特徴的で、このアルバムを推すファンも多いです。もちろんこのアルバムも大名盤。家に篭る、を省略したとされている「イエロウ」から始まります。
 
「早速矢のようにやる気が失せてくね」と出だしからいきなり嘯き、ネガティブな言葉遊びを駆使しつつ、それでもさりげなくサビで「死体のような未来を 呼吸しないうたを 蘇生するために なにをしようか」と、アルバムのコンセプトを提示してくれます。
こうして、引き篭った家の中から、「薬でいつも酒気帯び」で「寝てらんない」五十嵐の戦闘は始まります。
次曲「不眠症」。
 
この際だ このまま全てブチ撒けると
この間俺はまたでかい過ち犯したんだ
それはただ時が経ちゃ忘れてく問題だろうか
それはないな 今もまだ空っぽのまんまで生きてるよ
 
ここで、五十嵐が眠れなくなった原因、「イエロウ」することになった理由が述べられます。
汚れたいだけと願った男は望み通りに汚れ、そして汚れたことに対する自己嫌悪という葛藤の地獄に自身を再び突き落としたのです。
3曲目はタイトル曲「Hell-See」。適当なソングライターも煙草に火をつける」三人称的な視点から自身を捉え、「戦争は良くないなと隣のヤツが言う」「健康になりたいなと隣のヤツが言う」と、『coup d’ Etat』で多用された大現実と小現実の対比が行われます。
 
 
TVの中では込み入ったドラマで彼女はこう言った
話もしたくはないわ そこだけ俺も同意した
 
三人称的な視点に自身を仮託しているところから紐解けば、これこそ五十嵐が犯した「でかい過ち」であり、おそらく「君」ともう一度再会する、あるいは連絡を取るような機会があったのではないでしょうか。二回目の「話もしたくはないわ」の後にはこう唄われます。「それなら最初にそう言って」。
 
4曲目は言葉遊びのセンスが炸裂する、個人的に大好きな「末期症状」。
 
寂しさを振りまいて サービスし過ぎるのが余計だ 危ない
寂しさをフリーマーケット セールし過ぎるのが不快だ 危ない
 
今までずっとこの部分は五十嵐自身のことを唄っているのだと思っていたのですが、「セールし過ぎるのが不快だ」という表現からは誰かに対してこう感じているのだと読み取れます。その誰かとはやはり失った「君」のことである、とは穿ちすぎでしょうか(しかし「幽体離脱」や「汚れたいだけ」を聴いている限り、五十嵐のことをかなり振り回す女性であることが推測できます)。
「ちゃんとやんなきゃ素敵な未来がどこかに逃げちまうのかなあ」と唄ってはみるのですが、「死体のような未来」と冒頭で唄っているように、やはり最後には「はじめからねえだろう ねえよ」と絶唱されてこの曲は幕を閉じます。
 
5曲目は「ローラーメット」、タイトルは睡眠導入剤の「ロラメット」から。
TVで狂ったフリをするロックスターをコケにする、という歌詞もさることながら曲調も軽く、あまり繋がりはないように思えますが、「素敵な歌=ふざけた歌=あなたの歌」と同じ場所に配置されている歌詞が変わっていくところに五十嵐の皮肉を感じます。
そして次の曲「I’m 劣性」では「TVなんてバースト」と、あなたの歌を唄っていたロックスターをTVごと葬り去り、「世界の心臓を 鼓膜の振動で感じるだろ」(ロックスターよりも)劣性である自分自身が唄いはじめます。
ネガティブながら笑ってしまうような歌詞も増えてきます。「バイトの面接で君は暗いのかって 精一杯明るくしてるつもりですが」はSyrup16gファンみんなが好きな歌詞でしょう。
 
7曲目は一転、美しく明るく、それでいてどこか切ない曲調の「(This Is Not just)Song For Me」、自分に対する唄であり、今はそうではない。というタイトルの意味は歌詞を読めば理解できます。
「つま先で蹴飛ばして 石ころ転がして 昨日覚えたばかりの歌を口ずさんで 家に帰る」、石ころ転がして=ロックンロールですね、しかし「そんな魔法が今はなぜ手品みたいに思えるのだろうね」、昨日覚えたばかりの大好きなロックンロール・ソングという魔法でさえこの地獄には通用しません。
それでも 「あきれるくらい何度も 確かめるように何度も 昨日覚えたばかりの歌を口ずさんで」まるでロックンロールの魔法を取り戻そうとするかのようにして五十嵐は家に帰ります。泣ける。
 
そして五十嵐はロックンロールの魔法を借りて、でかい過ちを肯定しようとします。「月になって」。
 
気にしてないから 気にしてないなら
側にいるだけ そこにいるだけ
 
君がいないなら 僕もいないから
側にいるだけ ただの言い訳
 
子供じゃないから 言葉じゃないから
側にいるだけ 今はこれだけ
 
君に間違ったことはなく 道を誤ったこともなく
ありのままなにもない君を見失いそうな僕が泣く
 
構成もシンプルで、いわゆる必殺の曲ではないのかもしれませんが、とにかく曲が良い。
 
掴めそうで手を伸ばして
届かないね 永遠にねえ

 

しかし、やはり君に届くことはなく、五十嵐は自分自身で幻想を見破り、現実に戻っていき、君が月になったように、自身もついに人間であることすら放棄します。
ダークなコーラスとシンプルなリフから始まる大名曲「ex.人間」。
 
汗かいて人間です 必死こいて人間です
待ってる人がいて それだけでもう十分です
 
愛されたいだけ 汚れた人間です
卑怯もんと呼ばれて 特に差し支えないようです
 
道だって答えます 親切な人間です
でも遠くで人が死んでも気にしないです
 
と、タイトルとは裏腹に次々と人間であることが示されていきますが、それならば一体どうして「ex.」なのかと言えば、「少しなんか入れないと身体に障ると彼女は言った」という歌詞に答えがあります。身体に障る、というなんらかの病を示唆するこの彼女と、後の「吐く血」に出てくる「内科で診てもらえない病気の主(=彼女と知り合ってもう半年になる)」はおそらく同一人物であり、さらに、後の「シーツ」という楽曲タイトルから考察するに、なんらかの精神的疾患、欠落を抱えて五十嵐が入院したことこそが五十嵐に「ex.」と言わしめているのです。
 
さらに次のひたすらに暗く重たい「正常」の「絵本はもうおしまい 迷路はもう行き止まり 正常はもうおしまい 正常はもう行き止まり」という歌詞もまた、「ex.人間」という言葉の重さを強化します。
そして月(=ツキ)を掴み損なった五十嵐は「謝ってもいない 反省もしない全然 ずっとここで待っている 後悔もない 鑑賞もくだらない 君をここで待っている」(もったいない)と、象徴としての部屋(あるいは病室)で「つまんないから帰って」(Everseen)と来訪者を拒み、彼女を待ち続けることにします。
しかしそこにあるのはもちろん「Everseen」。『COPY』『coup d’ Etat』で提示された問題を何一つ解決できていないのだから当然です。
 
13曲目は先述した「シーツ」。「痛み堪えて 痛み殺した 次第にMy body’s end この部屋で待つ」と淡々と唄われる、個人的にかなり好きな曲で、
 
死にたいようで死ねない
生きたいなんて思えない
頭悪いな俺は
自意識過剰で

 

という心情の吐露がたまらなく自虐的で哀しくて好きです。
この楽曲でも部屋で待つことが唄われ、次の14曲目「吐く血」では、「内科で診てもらえない病気の主」である女性を自身の鏡像として五十嵐が見立てていることが「貴方は私と似ているね そう言って笑った」という歌詞からも容易に推察できます。
しかしそうすると、「血を吐きながらもどっかできっと生きてる」という歌詞に、業のような凄まじさを感じますね。
 
そして迎えた最終曲「パレード」では、
 
さようなら みなさま
ありがとう みなさま
パレードが終わったら
風に舞う十字架

 

と、五十嵐至上最も死に接近しながらも、
 
いつかはそんな日々が
訪れる気がしても
ひっそりとここで夢を見るさ

 

と、先ほどの「血を吐きながらもどっかできっと生きてる」という言葉に呼応するかのように、ギリギリのところで踏みとどまります。
それはなぜならば、
 
近くに来たらノックして
ココロのトビラをノッキン・ドア
たまに開かないと不信感?
君に会う為に待ってんだ

 

ということであり、こうして見事に『COPY』が起こした『coup d’ Etat』は失敗、五十嵐は「君」の呪縛から解き放たれずに『HELL SEE』、地獄を見るハメになります。
 
『HELL SEE』は、三たび自らが抱えている問題を解決し損ねたアルバムであり、まるで映画『バタフライ・エフェクト』のように様々なアプローチを試しながらも結局五十嵐は地獄から抜け出すことができません。
 
 
 
さて、次回は『パープルムカデ』『My Song』『Mouth to Mouse』、Syrup16g中期〜後期のレビューです。ここで五十嵐に大きな変化が訪れます。
 
ぜひこのレビューはアルバムを聴きながら読んで下さい。五十嵐の魂の葛藤、あるいは意識の流れがよく分かると思います。