真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

祝サブスク解禁! Syrup16g全アルバムレビュー① 『COPY』『coup d'Etat』

気圧の変化で体調が悪い、などと言う人間を見てはそのたびに「は、気圧でいちいち人間の状態が変わってたまるかい。なにを言い訳しとんねや」と心の中で蔑んできたワタクシですが、朝から鈍重な雲が空に立ち込めている今日、時間はすでに晩8時を回っているのに 一日中体調が悪く、なんだか息苦しい。いざSyrup16gの全アルバムレビューを書こう、という日に限ってこんなことになるなんて。
ごめんね、ごめんね。とふくろうずを口ずさみながら、今まで(心の中で)傷つけたすべての気圧の変化に弱い人に謝りつつ、でもまあこんなけだるい日にこそ、Syrup16gのことを書くにはうってつけなのかもしらん、なんて思っています。
 
Syrup16gがサブスク解禁。サブスク、という言葉が似合わなくて、自分が所属しているわけでもないのに妙な居心地を覚えるわけなのですが、とにかくこれで一人でもSyrup16gを聴いてくれる人間が増えれば、、、なんてことは別に考えておらず、ただそのニュースを見て、そして俺という個人がいかにSyrup16gに救われ、またその音楽を愛してきたのかをまとめておきたい。という気持ちにかられて、全アルバムのレビューを決意しました。
 
いち早く家庭にパソコンを導入し、オリコンチャートベスト10を毎週ツタヤで借りては一枚のCDにまとめることが一番楽しいことだった中学生時代を経て、世の中の音楽はどうやらオリコンチャートだけがすべてではないことを(主に2ちゃんねるなどによって)知った俺は、見事に高校生でサブカル化、ランボーやボードレールを読み、ヘッドフォンをしながらNIRVANA(もちろんIN UTERO)やヴェルヴェッツ、あるいはマイブラなんかを聴いて、カラオケに行けば空気を読まずブランキーを熱唱する人間になり果てたのですが、そんな人間に世の中が優しいわけでもなく、それはもちろん自分が世の中に優しくしなかったからで、見事に俺は孤立、周囲の人間との軋轢・齟齬に苦しみ、アルコールあるいは風邪薬によるODに耽溺していき、毎日布団を引っかぶりながら死ぬこともしくはリリカルなのはのフェイトと結婚することだけを夢想していたSQ(スクエアではなくスーパークズ)だったのですが、そんな折に出会ったのがSyrup16gでした。
 
いやもちろん、それまでにも日本の音楽に暗い音楽なんてたくさんありました。
ロックに限って言うならばジャックスや裸のラリーズ、ルースターズの後期、あるいは村八分etc...しかしこれはやはり時代性やドラッグと結びついていて、どこかに「対社会」という、いわゆる反抗的な、つまりロックな(まあジャックスは微妙ですが)アティチュードを(今、僕が聴く限りでは)感じてしまいます。
こういう日本のロックの暗い部分を、もう少し「個」の要素に押し進めつつ継承したのがエレファントカシマシ『生活』で、これは本当に大名盤で、俺は自室、いや宮本風に言うなら自部屋を真っ暗にして、手放せなくなったウイスキーを飲んでは涙と嘔吐で顔面をぐしゃぐしゃにして聴き続けていました。
ちなみに、このアルバムの「遁生」をSyrup16gはカバーしています。
 

 
ただ、『生活』は、その精神面は置いといて、いわゆるロックのフォーマットの曲はあまりなく(いやこれこそがロックってのは分かるんですが)、キャッチーである、あるいはコンパクトであるという点においてはThe ピーズの一連のアルバムに軍配が上がるでしょう。
もしSyrup16gファンであなたが男性でTheピーズを聴いたことがないのなら今すぐ聴きなさい。え? なぜ男性? 女性は? というのは、そこがまさに最大の特徴なのですが、エレカシやピーズにあった「男臭さ」「汗臭さ」、つまり「リビドー」を削ぎ落としたところにこそSyrup16gの音楽は位置しているからです(そして、だからこそ五十嵐は自分に欠けている「リビドー」を持つ宮本を尊敬しているのですが(その傾向は、五十嵐が長渕剛!を好んで聴いている、というところにも窺い知れるでしょう ))。
 
エレカシが自己との対峙、葛藤、敗北をテーマにしているならば、「負けるが勝ちと言ってしまえ」と、ピーズは敗北すら(もちろん苦しい顔でですが)肯定しました。
基本的にはSyrup16gの音楽もこの軌道の延長線上にあるのですが、五十嵐はその「自己との対峙、葛藤、敗北」あるいは「敗北の肯定」すら、結局のところどこか自分に踊らされているだけではないのか、という思考の無限地獄に落とされた男だと言えるでしょう。
白けて、その白けている自分に嫌気が差し、それを克服しうる力強い男性への憧れがありながらも、そんな力強さにまた白ける。
自己を客観視して見ることに長けているのはGrapevineの田中ですが、五十嵐は自己を客観視して見るその自分の白け具合にさえ絶望してしまう(誰かが文字起こししてくれてた五十嵐と田中の対談がWebにあったのですが見つかりません、、、どなたかご存じないでしょうか? あれすごく面白かったんですよね)。
 
 つまり五十嵐の人生に救いはない。
 
いや、五十嵐の人生に救いがあるとするならば、それはやはり唄うことなのです。
 
 
 
 
 
国民的人気アイドルグループにして日本一の村師でもありはたまたロックバンドでもあるTOKIOの松岡主演、TBSでかつて放送されていた人気ドラマ「天国に一番近い男」教師編の第11話で、順調に神様から与えられた命題をクリアしていって調子に乗っていた和也は、勝てるはずがないボクシングの試合を約束し、あまつさえ生徒を人質に取られて試合で手出しすることもできず、ただ立ったまま古川橋高校ボクシング部顧問苫米地剛にボコボコにされてノックダウンします。
そして、おじさん天使の天童の幻にこう言います。「ダメだよ、やっぱり俺には無理だった」
しかし天童の幻は言います。「立て、和也!」
和也は立ち上がります。まるで陽炎のように揺らめきながら、もはや勝ち負けの世界ではなく、何度打ち倒されてもただ立ち上がるために立ち上がります。
 
これこそがまさに「実存」そのものである、とキルケゴールは言いましたが(嘘です)、俺は何度も繰り返し見ては涙を流したこの場面に(今見返してまた泣いてます)、 五十嵐隆という人間の姿を重ねます。
 
このおっさんは一体なんの話をしているのだ、と読者諸兄はお思いでしょうが、公式にひっそりと上げられている、「Coup d’Etat」の時のインタビューを読んでもらえれば俺が言っていることはあながち的外れでもないことが分かってもらえると思います(このインタビューは五十嵐隆という人間を理解する上で大切なテキストなので、必ず目を通して下さい。)
 
 
 
そうすね、なんかもう泥試合になって最後『ドラえもん』の6巻だっけ? 最後(のび太が)ジャイアンに勝つじゃないですか。あんな感じで勝ったかもしれないんですね。勝ったっていうか、ちょっと勘弁してくれっていうか、くどいよっていう」
 
まるで尺取り虫のように、絶望というカーブを身体に作ることでしか前に進めない五十嵐隆という男は、逆説的に言うならば絶望することで今日まで生き延びて前に突き進んできた、まさにコリン・ウィルソンが言うところの「アウトサイダー」そのものであり、「悟りきれない凡人」であり、しかしまぎれもなく偉大な求道者なのです。
 
どれだけ考えても、なに一つ答えは出ないまま。問題は解決しないまま。
それでも立ち上がる。そこに勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いていくんですよ、ねえ桜井さん!!?(なんじゃコイツ)
 
 
しまった。とんでもなく前置きが長くなってしまった。
ヒーローになれない男の姿こそ、まさにヒーローなのだと教えてくれた俺の偉大なロックスターに、このクソ長くなってしまった前置きよりも大きな愛を込めて。
 
 
 
 
 
 
 
『COPY』
 
あれ? 「Free Throwは?」とツッコミを入れた全てのSyrup16gを愛する人よ静まれ。理由は『delaydead』のところで後述します。そしてSyrup16gビギナーは、できれば『COPY』から攻略することをお勧めします(美少女ゲームみたいに言うな)。
 
さて、2001年10月5日代沢レコードより発売された1stフルアルバムにして大名盤『COPY』。まるで彼女の失われてしまった「美」そのものに対しての鎮魂歌のような「She was beautiful」で静かに幕を開けます。「いつまでも子供のままで あの時の言葉を今日も噛み砕いて眠る」、そう、時は残酷に彼女の美を奪い去ったが、彼女はそれに気付いてはいません。あの時の言葉を今日も忘れないでいる彼女の滅びゆくその光景、「破滅の美学」にこそ美を感じる五十嵐の屈折した感性が冒頭から炸裂し、残された心電図のような音がノイジーなギターで塗りつぶされてゆきます。「無効の日」。
 
本気出してないままで終了です あとは箒で掃いて捨てる それをどうして悲しいという?
信じたくないけれど本当です 君の心の価値は薄い それをどうして悲しいというの?
 

 

心の価値が薄い、それを悲しいと思うのは「価値が薄い」=「悲しい」という世間的な価値観に支配されているからであり、ここで五十嵐は諦念を用いてその価値観からの脱却を図ります。
しかし、しかしやはり五十嵐は迷います。諦念を受け入れようとしながら、そのあとで「どこかで繋いだあの手は遠くなる」こんな感傷的なことを言っちゃう。この揺らぎ、対比こそが五十嵐の五十嵐たる所以です。
それにしてもその歌詞のあとの不穏なベースの格好よさと言ったら!
 
次の3曲目はSyrup16gを代表する名曲「生活」。
 
君に言いたいことはあるか そしてその根拠とはなんだ
涙流してりゃ悲しいんか 心なんて一生不安さ
 
そうか、心なんて一生不安なんだ、と、そんなことを認めていいのだと知ったとき、どれほど俺の心は、いや、たくさんの人の心は楽になったでしょうか?
ライブでおなじみ、弾けるかどうかのハラハラギターソロも聴きどころです。
そしてここでも諦念(「生活はできそう? それはまだ)」に「こんな世界になっちまって君の声さえも思い出せないや」という言葉が対比として置かれています。この男、自分のやり口を相当心得てます。計算されてる。笑
「そこで鳴っているのは目覚まし時計」、そして嫌が応にも生活に連れ戻されていくオチまで見事な、さすが代表曲。
 
さすがにこの歌詞パターンを多用するのは自分でもずるいと思ったのか、次曲シューゲイザー的な「君待ち」では失われた「君」のことが、幻想的な描写の中で唄われています。
「時計壊れた あとの責任は放棄 全てはほら もう劣化されない」、この劣化されない「時計」壊れた幻想の世界に住み続けた男が、否応なしに前曲「生活」では目覚まし「時計」によって劣化される生活に引き戻されるわけですね。
しかしこの曲の一番の聴きどころは一番最後のセクションで唄われる「真理なんてでたらめ 勇気なんて出さないでくれ」という言葉でしょう。
何度この言葉に(矛盾しているようだが)勇気づけられたことか! かっこよかった。こんなにかっこ悪いことを言ってくれる五十嵐は誰よりもかっこよかった。
 
5曲目は「デイパス」、タイトルは精神神経用剤のデパスから。
「君は死んだ方がいい」ハードなギターに負けないサビの痛烈な歌詞は分かりやすく自罰的だが、真に五十嵐節が炸裂しているのは二番Aメロ、
 
サバを読んでもシンクロしてるフリ
一人ぼっちがいいは犯罪者
 
こんな歌詞は誰にも書けません。そしてここでも、冷めた現実への対比として使われる「君の好きなあの娘の写真はもうここにはない まあでも煌めく世界」という、、、まあ分かりやすく言えばスネてるんですよね。笑 失恋は男を誰でも哲学者にする、なんて言葉がありましたが、つまりスピッツを引用するならば「君が世界だと気付いた日から 胸の大地は回り始めた」、五十嵐にとって世界とイコールになるほどの君を失ったところから五十嵐の諦念は立ち上がってきているのであり、ここから五十嵐が恋愛至上主義者であることがよく分かります(最近のインタビューで「白馬の王子様を待ち続けている」と言うような発言がありましたが、まさにでしょう)。
で、分かりやすく6曲目は不穏で美しい「負け犬」。「君に飼われてもいい」なんてついには言っちゃってます。
このアルバムに入っている曲は全て名曲なのですが、この曲はとりわけ隠れ名曲です。いや、隠れてないか?
いいの。普通の人からすれば隠れてるから! 普通の人からすればSyrup16g自体が隠れてるか、、、。
 
お金を集めろ それしかもう言われなくなった
頭ダメにするまで頑張ったりする必要なんてない
それを早く言ってくれよ
 
歌詞はいくつも聴きどころがあるのですが、個人的に一番突き刺さるのはここですね。
で、7曲目「(I can’t)change the world」、いや〜すいません、こっちこそ隠れ名曲ですね。個人的にこのアルバムで一番好きな曲です。
とにかくこの曲では何度もズタボロに泣き続けた記憶があります。
 
死ねないこと気づいて当たり前にたそがれて
生まれたその日から誰かのために生きてきた

 

広い普通の心をくれないか

 

癒えない傷を負って頭は悪くなるばかり
夢は君の中で永遠に生き続けることさ

 

いやホンマ歌詞全部引用してまうわ、っちゅうくらい素晴らしく、ギターソロもたまらなく泣ける名演です。
 
リビドー 愛 嘘 刹那 汗 匂い 朝の光
 
ここで五十嵐は「リビドー」という言葉を用いていますが、言葉を用いること自体「リビドー」を対象化している、ということで、その欲望を持つ自分に対して肯定的でない姿勢は「Sonic Disorder」で唄われる「左利きのあの目」=カート・コベイン(もちろん「Smells Iike A Teen Spilit」の「My Libido A denial(欲望と否定)」がここでは意識されているでしょう)に 通じるところがあります。
 
朝はまた嘘をついた 明日はもっとずるく
人はなにを望めばいい 全てを失ってもなお

 

五十嵐の歌詞には「全て」という言葉が頻出しますが、この「全て」とはもちろん先ほどのスピッツ理論でいくと、「君」を置き換えたものである、ということがこうやってあらためて分析的に聞くとよく分かりますね。
 
8曲目はこのアルバムの中で一番激しい「Drawn the light」。ちょっとらしくない感じがしますが、どうも五十嵐の好む楽曲の傾向を見ていると、こういう曲調こそ五十嵐の趣味が反映されているように思えます。
「全ては愛 そりゃまあただ言ってるだけなら同感 そんな訳ないが」というジョン・レノンが聞いたらブチ切れそうな歌詞も聴きどころ。
 
9曲目は「パッチワーク」。五十嵐哲学がふんだんに盛り込まれています。
 
世界がどうなってようと
明日がどうなってようと
僕は楽したいのです
いつまでもしたいのです
 
人のことなんて知りません
ここから逃げたいのです
傷つけるものはなく
恐れることなにもない
 
という歌詞にニートや引きこもりの代弁者としての五十嵐を見ることは簡単ですが、これは音楽を製作するということをモラトリアムの延長として皮肉に捉えている、という解釈の方が良いでしょう。
「理想と幻想切って貼って 都合良すぎるぜ」という歌詞も、そのまま楽曲製作における五十嵐の葛藤を表しているように思えます。
 
一体いつまでこうやって一寸先もわかんなくて言ってることすらなんだっけ
正論なんて悟んないで

 

そして最後のトラックは終焉にふさわしい、穏やかな曲調の「土曜日」。

「土曜日なんて来る訳ない」と唄われるこの土曜日は安息の象徴であり、目覚まし時計で起こされることのない、君の中で永遠に生き続ける夢であり、「また不器用に逆らって負ける」訳です。そして、
 
他の誰にも代われない
君と僕の顔が

 

という叫びこそ、『COPY』そのものを表していると言っても過言ではない言葉でしょう。
つまり『COPY』は、 徹底的に君=世界=全てを失った僕が幻想を使って再び君という世界を取り戻そうとして、そんな失恋=誰にでもよくある、起こりうること=複製=COPYを相対的に見ることで自分自身に白けきり、問題を解決することに失敗するというアルバムであり、しかしそこで鳴っている目覚まし時計=逃げられない現実によって無理やり新しい世界を歩かざるをえなくなった五十嵐の記念すべき一歩目なのです。
 
そしてそのファイティング・ポーズは見事次作の「Coup d’ Etat」で結実します。
 
 
 
 
 
『coup d’ Etat』
 
2002年6月19日発売、メジャー1stアルバムにして大名盤。ロバート・ジョンソンが十字路で悪魔に魂を売り渡してブルースを手に入れたように、1曲目「My Love’s Sold」で五十嵐は愛を売り渡し、まるで劇場版機動戦艦ナデシコのアキトのように、ダーク・ヒーローとして蘇ります。
 
愛されたいなんて言う名の幻想消去して
沈むよ嵐の船

 

そして訪れるAメロ終わりのノイジーなギターの洪水! まさしく再生と呼ぶに相応しい高揚感があって最高です。かっこいい!!!
 
もうだってさ信じていないもん
本当の自分なんてものをねえ
 
一応臨戦状態です
生きていたいと思ったんです

 

そう、ここで五十嵐隆という男は失恋を乗り越えて、幻想を殺し、それでも生きていかざるを得ない(by筋肉少女帯)目覚ましが容赦なく連れ戻す現実に対して「生きていたい」とファイティング・ポーズを構えるのです! それも「一応」と皮肉を言いながら!
なんですかこの男は! 最高! 俺のがっちゃん!(違う)
 
明日なんか適当さ
安心感なんか敵だろう

 

こうして信じるもの=依存対象を失った五十嵐の心の中に安心感を敵と見なす鬼が生まれます。その鬼の「言葉はマイナースケール」『COPY』で内側に向けられていた攻撃衝動は自己保存の法則により反転、外側に向けられるようになります。
 
 
2曲目は大人気曲「神のカルマ」。確か最初のころの五十嵐の発言、もしくはアルバムのコピーに「神を殺すにはどこにミサイルを撃ち込んだらいいんでしょうか」というようなものがあったと記憶しているのですが(あれ、タワーかどこかで誰か店員が書いたコピーだっけな? これも検索しても出てこず、、、与太話ってことで)、五十嵐の心の鬼は理不尽なこの世界を作り出した、いやむしろ五十嵐から世界を奪い去った神の理不尽と言うべきか、に対して闘いを挑みます。
 
進化 調和 交友 繁栄
あっそう ハロー あんた嫌い
 
暴力がないうちに退屈すぎて死んじまいたい
 

 

サイレンが聞こえてもまだ歌唄ってもいいの
細菌ガスにむせながら歌唄ってもいいの
 
これはなんだ 神のカルマ 俺が払う必要はない
 
僕と君、という小さな半径から愛を売り渡すことによって一気に神を相手にするところまで領域を広げた五十嵐ですが、天才的な対比のセンスは相変わらずで、曲の最後のフレーズには「最新ビデオの棚の前で二時間以上も立ち尽くして なんも借りれない」と、『COPY』で何度か使われていた「諦念(生活)ー感傷(幻想)」という手法を応用して、今度は現実同士を、つまり「暴力・サイレン・細菌ガスから想起される戦争という大現実ー最新ビデオの棚の前で立ち尽くしてなにも借りられない小現実」の揺らぎを鮮やかに描き出すことに成功しています。
 
3曲目は「生きたいよ」、「君はいない いつだってもう この手離してしまったんだ」と、どうして自分が鬼になってしまったのかを、『COPY』を聴いていない人のためにもわかりやすくここで五十嵐は説明します。
「今更なにを言ったって 四の五のなに唄ったってただのノスタルジー 生ゴミ持ち歩いてんじゃねえ」、五十嵐の鬼にとってノスタルジー、彼女の記憶とはいまだ匂いのする生ゴミであり、屍体であり、捨て去るべき俗であり、そこに執着することは嫌悪すべきリビドーによってである。ということが示され、その自暴自棄な姿勢はそのまま4曲目「手首」冒頭「くだらないこと言ってないで早く働けよ 無駄にいいモンばかり喰わされて腹出てるぜ」に繋がっていきます。
 
苦しまぎれの愛掴んでぬるい生活にただれる魂よ
それにまたしがみつくのさ
誰もお前を気になどしていない
代わりならうなるほどいる だから心配すんな

 

 
苦しまぎれの愛とはもちろん真実の愛ではなく、愛に見立てた「なにか」をまんまと掴んでしまったがゆえに鬼であろうと決めた決意も鈍り、生活はぬるくなり、魂はただれる、、、そんな自己の葛藤から救われたくて「代わりならうなるほどいる」と再び複製=COPYへ戻ろうとするこの心の脆さ、卑怯さ。「どんな罪があるんですか?」とさらに自己弁護を続ける自分に「いっぱいあるさ 死ぬほどあるさ っていうかお前はなんでそこにいる」と痛烈な批判をジーザス・ジーニアス(この後に「まんま「天才」という楽曲があります。ジーザス=ジーニアスであり、それは君を失う前の日々でありもう戻れない自分自身です)。に投げかけ、それに対して「そんなんねえ 言われたって 手首切る気になれないな」と自分で返す。
見事なまでに分裂したこの自己の矛盾、対立こそがまさに五十嵐という人間そのものであり、彼の真骨頂でしょう。
 
その「手首」から一転、静かで美しいこれも大名曲「遊体離脱」、幽体じゃないんですね。
 
考えすぎだよってあなたは笑った これは癖だから治らないんだ
正体不明の嘘がとても嫌いだ なんか言って欲しくて悲しいフリをした

 

最終回のドラマでボロボロに泣いた 思ってるより俺は単純なようだ
愛情が怖いんですか? 裏切られた人間しか分からないさ そんな気持ちは

 

鬼の種明かし。君との恋愛は裏切りと嘘によって終焉を迎えたことがここで明らかになります。
ベースラインも凄まじくクールで(確か初期の楽曲のベースラインは基本的に五十嵐が考えている)、反復が心地よい。
 
愛が宇宙の果てにそっと導かれて散る
 
この死のイメージが、そのまま次のインスト「Virgin Suicide」に結びつきます。タイトルはソフィア・コッポラの映画『The Virgin Suicides』からですが、映画は観たことがない、語感だけで決めたということをどこかで言っていたような。すいません曖昧ですこれも与太話で。
この曲は「宇宙の果てにそっと導かれて散った愛=清らかな精神の自殺」を経て生まれ変わるべく配置されたinterludeであり、このアルバムが恐ろしく緻密に構成されていることがよく分かります。
そして君のイメージに引きずられていた五十嵐はここでもう一度再生、水の中で蠢くようなギターから一気に爆発するイントロが心地よい名曲「天才」で鬼としてマイナースケールの言葉=「チェインソウ 冴えまくる刃」を振り回して暴れ倒します。
 
天才だったころの俺にまた連れてって いつの間に
どこで曲がったら良かった? どこで間違えた?

  

誰もいないこの国なら王様にでもなれる そうもいかねえ
 
遊ばない 絡まない 力あわせたくない
 
瞑想してるヒマないや なんか悟ってそうなことを言え
 
ヤバい空気察知する能力オンリーで生き延びた
 
また、「パワーバランス 苦労話 バラされてもねえ」のような、言葉遊び大好きダジャレおじさんとしての側面も徐々に露わになってきます。
だいたい「チェインソウ」と「瞑想」「謙遜」で韻踏んでくる人っています? このヤケクソ感、無茶苦茶感っていうのも五十嵐の魅力の一つです。
 
躁状態は続きます、「ソドシラド」では、「俺は期待はずれ 的外れ」と、自虐から始まり(そういえばここまで露骨な自虐詞は、この曲が初出かもしれませんね)「悲しくなんて別にねえ ハナからなんもする気ねえ 愛してるなんて言ってねえぜ 知らねえ」と、はい出ました、ついにここで開き直ります。笑
ちなみにこの曲はSyrup16gで一番最初に俺が好きになった曲です。当時は愛してるなんて言う勇気もなかったくせに、一丁前に自己投影したんですね、うーん、若い。
 
で、「行くとこなんて別にねえ 生きてるなんて感じねえ」五十嵐が向かうのは、大学浪人中に祖父母と旅行に行って衝撃を受けたバリ。「バリで死す」。楽園での甘美な死を目指します。
「預金通帳溜まった タランティーノじゃなかった 全人類兄弟 けんちん汁ちょうだい」という無茶苦茶な韻の踏み方は、さすがKICK THE CAN CREWが好きと豪語するだけはあります(そうか?)。
 
 
「愛なき世界は今日も矛盾と転がり 絶えなき争いの途中の危険な青い空」、ここで再び愛を失った個人という小現実は世界・争いという大現実と対比されます。「いつかあなたの笑顔すら遠くなっていきそう」。
 
そして主旋律とは別に唄われている別メロディにこそ、五十嵐は本心を隠します。
 
何か全部ナシにしねえか
ここはしんど過ぎた呼吸すらままならぬ
空気におおわれて
 
これが永遠の孤独と言うのだろう
 
この辺りの言葉選びも本当にキリキリする痛みを伴うのですが、なんと言っても最後の
 
朝になって カラになって
バカになって 顔洗って
 
夜になって どさくさで
金つかんで 逃げまどって
 
凡百のメンヘラが及びもしない、こんなにシンプルで、研ぎ澄まされた哀しい歌詞があるでしょうか?
はっきり言って山頭火や(「うつむいて石ころばかり」)富永太郎(「私は疲れた 靴は破れた」)のような偉大な詩人たちと比肩しうる才能であり、一人の人間の精神の、魂の極北でしょう。打ち込んでいるだけで涙が出てくるのは今夜俺が酒を飲んでいるからなのか?(そうです)
 
そしてある種ここで言葉の禊を行った五十嵐の表現は次曲「ハピネス」でその境地に到達します。3拍子で唄われる、『The bends』期のトム・ヨークにも負けない美しい大名曲。
 
青春は先週で終わった
発想は尽きない どうしようもない方向で行っちまっても
照れ笑いで再開
 
完全は完璧じゃないや
想像が織りなす500万画素の別天地なんかを
再現してみたいな

 

センシティブなエモーション系マイマインド
情感の鬼だ
電車の窓をこする夕陽なんかも
最重要文化財
 
I’m ハピネス
どうなっても悲しみは消える
 
だけどたまに思うんだよ
これは永遠じゃないんだって
誰かの手にまた この命返すんだ
 
打ち込んでいて、最初に五十嵐を鬼に見立てたのは間違いじゃなかったと確信しました。「情感の鬼」!
ここで「バリで死す」で唄われていた「永遠」というワードが否定され、五十嵐は結局のところ神に抗えないことを悟ります。
 
頭はハピネス いつもハピネス 多分ね
一生俺はハピネス 不幸もハピネスだろう

 

そして五十嵐は、そんな普通=誰かを失うこと=世界を失うことを耐えているみんな=複製=COPYという構図にあらためて向き合います。
確かにみんなはこの普通を、苦痛を耐えている。しかし、他人の哀しみなんて一体俺の哀しみになんの関係があるのか! ただ俺の心はどうすれば救われるのか、それだけではないか!
その逡巡の果てに、五十嵐は「頭はハピネス」、狂うことを選択します。これでいいのだと。すべての敗北をただ静かに受け入れよう、と。
しかし、狂った五十嵐に神の声が聞こえます。「coup d’Etat」、狂人の雄叫びと共に五十嵐は再び立ち上がり、もう一度勝負を挑みます。理不尽なこの世界との相打ちを狙うかのように。
 
12曲目「空をなくす」、タイトルは抗不安剤のソラナックスから。
「塾から帰るガキのでかい態度に殺意すら覚え」、戦争として見立てていた大現実の暴力に狂った五十嵐は感染し、「今は飛べるよ まだ飛べるよ この空をなくすまで」、こうして天に位置する神の場所まで狂いながら五十嵐は階段を駆け上がっていきます。
 
まるでダンテのように天界にたどり着いた五十嵐を待ち受けていたのは終曲「汚れたいだけ」。
 
どうでもいいのに
あなたの嘘に傷つくんだろう
誰とでも寝ればいい

 

ここで「幽体離脱」で唄われていた「嘘」や「裏切り」の正体が露わにされます。
 
復讐するのが
生きる意味に成り果てても
悲しむことはない

 

こうして、五十嵐は自身の人生を誤解を恐れずに言うならば(太宰治的な)最悪のやり方で肯定します。
しかし、最悪だろうがなんだろうが、ここで五十嵐は汚れることによって、生きることを選択します。
 
『Coup d’ Etat』は、君に対する訣別のアルバムであり、五十嵐が文字通り心を鬼にしてでも生きることを選択したアルバムなのです。
 
 
 
 
 
 
しまった。。。全アルバムレビューどころか全曲レビューになってしまって一向に終わる気配がない!笑
ひとまずここまでで一度アップロードすることにします。
次回は『delayed』、『HELL-SEE』をレビューします。もちろん現段階で最新アルバム『delaidback』までたどり着くので楽しみにしてて下さい。
個人的に今回のレビューは再結成以降のSyrup16gの評価の低さを覆すために書いているところがあります。
『darc』がいかにすごいアルバムか。そしてどれだけ五十嵐のストーリーは見事に繋がっているかを証明してみせます。
 
最後までおつき合いよろしくお願いします。書ききれ、自分!