真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

瀬門春壱の「週報」5/18〜24

新開地には朝からやっている立ち飲み屋が櫛比している。
もはや酒をやめる、なんて馬鹿げた考えは捨てて(猿にシェイクスピアを書け、というアレと同じだ)、上手に共存していこうね(しかし六十歳まで生き延びられたら記念にやめてやろうと考えている)、そっちの方向でよろしくとお酒さんに話したところ、まあこの話がお酒さんの方でも受け入れられたみたいで、最近はあまり飲み過ぎず、ほどほどで切り上げて次の日に備える、ということができるようになってきたと思う。
 
まあ、これは正直な話、人生焦っているからで、はっきり言って三十歳過ぎてフリーター、別にバンドが売れてるわけでもなく、日々をただ漫然と過ごしている、というのはすなわちクズそのものであって、これじゃいかん、同じクズでもせめて芸術を作らねば、一体俺はなんのために郷里から出て、ありとあらゆる人間を傷つけ裏切り続けてここまで生きてきたのか。
とまあ、そんなことを毎日考えて心をジグザグにしているからだ、というのが大きいところ、というかホントのところなのだけれども。
 
しかし、これは逆にやるべきことをやったならば酒を飲むことは(泥酔して人間的には問題があったとしても、芸術的には)問題ないわけであり、というかむしろ積極的に心をアルコールで揺り動かして苦しくさせることによって心に浮かび上がってくる問題を芸術に昇華することこそがまさに「アウトサイダー」(すいません今読んでるコリン・ウィルソンの影響です)の面目躍如たらんとすべきところであり、面目躍如たらんとすべきところって日本語合ってるかな、まあ文意が伝わっていればそれでいい、むしろ言い間違え、書き間違え、あるいは読み間違えこそが言語を拡張し、それに追従する形で現実を拡張してきたのであり、っと脱線脱線、ようするにこうしてどうにかして酒を飲めんかしら。と考えるその心の有り様こそがまさに俺がアル中である証拠なのだが、ええい、もうええわい!
アル中で結構! この世の中で何にも中毒していない人間なんておるんかあっ! とこれまたアル中の中島らもみたいなことをのたまいつつ我々ギャングスタ(バンドメンバー)一同向かった先こそが酒神バッカスが住まうとされる新開地だったわけである。
 
さすがに朝からはちょっと、とメンバーが渋ったので、しかたなく十二時から集合、一足先に着いた俺は地面で転がっているおっさんたちをウォッチングしながら(マジでちょっとした北斗の拳的世紀末的タウンなのだ)、うむ、今日も新開地異常なし。と呟いてみなが来るまで時間を潰した。
 
まず飛び込んだ一軒目「大黒えびす」で大ビンを注文。ここは建物も新しく、内装も綺麗で新開地ビギナーでも飛び込みやすいところだ。
話した内容はもちろんいっさい記憶にない。まさにすべてビールの泡と化し、みんなのテンションもアッパーになってきたところで二軒目「八喜為」、これではきだめと読みます、へGO。
ここはサービスセットで日本酒二合と造りがついてきて500円、というマジでセンベロを狙えるメニューがあるのでそれを注文。
ここでまた何人かが合流し、議論白熱(多分)、ああ確か、なぜか美少女ゲーム全盛期の頃の思い出話をした気がする。
 『さよならを教えて』とかね。このゲームは今も語り継がれる伝説のゲームで、ってこんなことを語り出すととんでもない長さになってしまう、なんせ俺は一時期ヘビー美少女ゲームユーザーだったからで(ちなみに最後にプレイしたのは『月に寄り添う乙女の作法』シリーズだと言えば分かる人は頷いてくれるのではないだろうか)、どうしてヘビー美少女ゲームユーザーだったのかというと、あの頃の業界にはゴロゴロと文筆家志望の人間が紛れ込んでいて、、、と、だからこういう話をすると長くなるので割愛、さらにすっ飛ばして気づけば我々はボートレース場に行き、辻くん主導の下舟券を買い、近くにあった『冨月』という居酒屋で中継テレビを見ながら引き続き酒を飲み続けたわけである。
 
そして買い出しをしながら家に帰り、しばらく眠ってから晩は鍋の予定だったのだが、どいつもこいつも全然起きてきやがらず、俺が人生で一番最初に組んだバンドのギタリストにして一番最初に家を飛び出して一緒に住んだ友人、遅れてきた西上とサシで飲むことになった。
西上についてのエピソードはスターウォーズを軽く超えるくらいあって、いくつも伝説を作ってきた男で、ああ思い出した、
昼間の飲みの話題もほとんどが西上の伝説話だった、それも今ここで披瀝するには時間が足りないのだが、馬鹿げた話を一つするならば、この西上という男は毒物への耐性が異常に強く、例えば初めて煙草を吸った高校生の時、いきなり肺に入れて吸ったかと思えば二時間後には両方の鼻の穴で煙草を吸っていたり、成人式の日に、、、この話はやめておこう。
 
ま、そんな男と話していると、「お前はこれからどうするのだ」と俺に問うてきた。
「俺?」
「多分これからなにか書いて、曲を作って。ちゃんとやれば、それなりに認められていくと思うわ。でも、本当はなにがしたい?」
「本当は?」
「どう考えているのかが分からん」
「そりゃ、俺も分からんよ。しかし、やるしかないやろ」
「そうやな。なあ」
「なに」
「死ぬことって考える?」
「なんじゃそりゃ。まあ、考えなくもないけど。え。積極的に、ってこと? 自殺? 的な?」
「そうやな」
「そりゃあ考えへんな。昔は毎日考えてたけど」
「そうか」
「は? 考えるん?」
「そやな。死ぬことばかり考えてるわ」
 
俺はここでコイツが中島らもと同じ、アルコール依存症によって引き起こされる鬱を患いつつある、あるいは患っていることに気づいた。
いや、前からうすうす気づいてはいたのだが。
しかし、酒をやめろと言ったところで酒をやめるような人間ではない。俺もまたそうだからだ。
もしも西上がくたばったら、どうにかして連中の家族だけは養ってやらねばならん。
そんなことを考えながら飲みまくっていると気づけば夢の中、そして目覚めればパーティー・イズ・オーヴァー、西上は「俺、鍋食ってへんやん! ま、ええけど」と言って帰っていったのだった。
 
 
 
 
別にそれだけが引き金ではないのだが、おかげでこのところ頭の中にいろんな想念がぐるぐると渦を巻いていて、こんな気分は本当に久しぶりだった。
どれだけ積み重ねても、死ねばすべてが無になってしまうのならば、果たして生きている意味とは? 芸術とは? 愛とは?
こんなことに答えが出ないことくらい、それこそ中二で病気にかかった時から分かっているのだが、それでも考え続けていくことこそが、生に対しての積極的な態度であり、つまり自身が死に向かうまでのたった一人の道連れでもある。
 
朝も晩も働き、書き、弾き続けながら俺は思う。
中断された、細切れにされた眠りたち。一体俺の身体はどこで一日の始まりと終わりを感じているのだろう?
次第に俺が夢を見ているのか、夢が俺を見ているのか分からなくなる、そんな荘子(そう、古代中国思想へ向かわねばならない、と俺の直感が告げている)のような世界の中で、朝方にぼんやり葱を切っているとざっくりと爪ごと指先を少し切り落とした。
 
じんじんと響くような痛みの中で、ああ俺はどこか慢心していたのだ、と安らぎにも似た境地でそう感じた。
これは起こるべくして起こったことであり、俺は大切なものを失う代わりに、代償として(ヤクザのように)指を支払ったのだ。
そう考えるとなにもかもつじつまが合うような気がした。
痛みによって現実に結び直されることこそ、今の俺にとって必要なことだったに違いない。
require more attention.
俺は口の中でもごもご呟きながら、今朝は昆布を切っていた。射し込む夏の冷たい光の中で番う蝿に、不思議と忌まわしいものの影はなかった。