真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

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とにかく家を越してきてから新しい物を買いまくっているのは、俺も三十路を迎えて令和より一足お先に一周年、そろそろ地に足を着けて生活をしていかんとなあ、と考えているからで、というのも、昔は劣悪な環境、あるいは感情に己の身を置くことで「どうして己はこれまでに不遇なのか、前世はエジプトでピラミッドでも積んでいる奴隷だったに違いない、いつまで俺を苦しめるファラオ野郎」というような怒りで文を書き、あるいは楽曲を創作できていたのだが、歳を重ねていくうちに、例えば酒を飲む、それから怒りが湧いてくる、、、その前に、「ねむい」と思って眠ってしまう、昏倒してしまうからで、思えば生まれ落ちて三十余年、これが家電なら即廃棄物なのをどうにかごまかしごまかし今日まで生きてきたわけで、つまるところ魂そのものを新しく買い直さないといけないな、と思い至ったわけであります。

 

それで、まあ実際に魂を買い直す、あるいはリサイクルする、生まれ変わるといっても例えばスーサイドしてしまったらこの身体、つまりハードがダメになってしまうわけで、どうにかしてソフトを入れ換える必要がある、と思い至ったのが今回の転居であり、どうせ家を引っ越して環境を変えるのならば、今までで一番の好環境にしてみよう、と朝も晩もなく働き倒してマックやら自転車やら(あれ? でも大きな買い物はそれくらいかな)を手に入れ、そして今日ついに作業用の机を手に入れることができました。

 

あらためて自身の家を見直せば、ああ、ゴールドロジャーがすべてを置いてきた場所ってここやったんや。ここがワンピースそのものやったんや、と感慨もひとしおで、早速届いた机の上にマックを置いてこのブログを打ってます。はやくスタバでドヤ顔したいなあ。

 

せっかく手広く浅い知識を持っているのだから、ブログでそのことを発揮したいなあ、と思っていて、例えば

 

月曜日:書評

火曜日:映画批評

水曜日:ディスクレビュー

木曜日:エッセイ

金曜日:週報

 

と、こんな感じで、皆様の辛い平日が少しでもこのブログで癒えるように、、、などとはあまり考えてはいないのですが、ふらりと立ち寄れるバーのような場所にしたいと考えていて、今各コンテンツを鋭意制作中です。つまり書きためてます。

どれも一筋縄ではいかない遊び心を取り入れたいなあ、と考えてます。

比喩ではなく、本当に今エジプトの奴隷くらい働いているので、もうちょっと生活が落ち着いて約束の地カナンにたどり着いたらスタートします。

 

今日は本当に久しぶりのオフで、オフといってもブッキングの仕事があるので全然オフなのではないのですが 笑、部屋を掃除したり、洗濯をしたり、花の水を換えたり、とやることはたくさんあります。

それにしても、普通に生活することがこれほどまでに楽しいものだとは!

それに、こうして最新のものばかり手に入れて思うのですが、世の中本当に大きく変わってますね。今もスポティファイでストーンズの1stをBluetooth経由でスピーカーからかけているのですが、本当、魔法ですよこんなの。

いかに自分が文明から取り残されていた人間だったのか思い知ります。

便利なものはきちんと取り入れていこう、と強く思います。

 

この家は、友人たち、つまり血のつながりのない赤の他人と暮らしているのですが、家を共有すればそれはもう家族なのだな、と、昔は思わなかったことを最近思います。

この家がある程度の広さを持っているので、そういう幻想も共有できるのかもしれません。

結婚したり子供を作ったり、そういう世間的なサイクルからは完全に外れてしまってますが、なんならずっとこのままの生活でもいいや、と思うくらい今の暮らしを気に入っています。

 

 

それで昨日、ツイッターにも書いたのですが、訳あって少しの間公園の管理みたいなことをやっていて、施錠しようとするとフラフラと近寄ってきた痩せぎすで男なのか女なのかわからないバンダナを巻いた少し不気味な人が「トイレ、借りれますか」と苦悶の表情で言うので、「間もなく施錠するのですが、どうぞ。ただしこの暗い道をかなりまっすぐ行かないとたどり着けないですが大丈夫ですか?」と答えると、頷いて歩いていったのですが、全然帰ってこないのでもう施錠しようとすると(中からは出られる仕組みになっています)「ヤバい! ヤバい!」と声が聞こえてきて、ぎょっとした俺が振り返ると、さっきの人がフラッフラになりながら「引き込まれる、闇に引き込まれるぅ〜〜〜!!!」と叫びながら帰ってきて、「どうされました!? 大丈夫ですか!?」という俺の声を完全に無視してそのまま逃げ去っていった事件があったのですが、それにしても闇に引き込まれる、とはなんと恐ろしく的確な表現だと思いませんか?

ブラックホールしかり、闇とは「光がない」というよりも、光を吸収してしまうような性質があるのだ、と叫び声と共に一人公園の闇に取り残された俺は、背筋を悪寒に震わせながらそんなことを考えていたのでした。

 

闇はその暗い顎を静かに開いて、自身に敬意を抱かない哀れな愚者を自身の内に引き込もうと今日も待ち続けているのです。

 

確かにニーチェの言うように、深淵を覗くことは自身もまた深淵に覗かれるのだということを、今以上に強く意識に置いておく必要があります。