真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

3月10日

湯上りに間接照明だけを点けて、Spotifyで適当に選んだジャズをうっすらと流し(ハービー・ハンコックの『Cantaloupe Island』)、酔い醒ましにお茶を飲みながら、この文章を打ち終えたらこないだ箱根本箱で購入したルドルフ・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』を読もう、と心に決めている俺は今限りなく自由だ。

『煙か土か食い物』で四郎が言ったように、俺はたしかに貧乏かもしれないが、誰よりも自由で、最高の気分だ。

 

 

イベントが終わると朝の五時だった。俺は片付けを済ませ、手伝ってくれた古い友人に礼を言って金を渡し(なんと彼女は金をもらえると思っていなかったのに来てくれたのだ!)、このままでは終われまいと、社長と店を出て王将に向かい、六時半まで酒を飲み(!)、帰宅して寝てすぐ起きると、今度はMV撮影のロケ地下見のために某所へ。

 

そして、どれだけ眠たくとも仮眠をとらず、帰宅して友人と酒を飲み、語り、熱いシャワーを浴びて、そう冒頭に追いついたね、薄暗い照明の中、小粋にジャズなんぞ流し、小難しい本を読みながらいつでも眠りに就ける体制を整えたのだ。どうだ。

 

 

明日も朝から働く小料理屋の店長は昔ながらの職人気質で、その技を見るのが気持ち良い。

思い返せば俺は様々な飲食店で働いてきた。別に好きで働いてきたワケじゃあない、と思っていたが、いや、やはり俺はこの仕事がとても性に合っているのかもしれぬ。

世の中の煩雑なこと、人間関係、未来、人生、まあなんでもいい、そういったことが、調理に携わっている間だけは忘れられるのだ。

 

 

朝から働く。だから酒は控える。つまり眠りの質が上がる。このルーティンが今の俺には大切だ。

俺は破天荒でもなんでもない。どこにでもいる、本当にどこにでもいる凡人なのだ。

いくつもの夜を跨ぎ、目を血走らせながら、酒と薬で文章を書き上げる力は、俺にはもう残されていないのだ。

 

 

今朝。仕事終わり。社長と酒を飲んだあと、自転車でほろほろ帰っていると、ふと鼻歌がついて出た。

そこからするすると言葉が出て、メロディーができて、一曲書き上げた。

 

逆説だが、曲が書けたということは、俺は人生に行き詰まっているということだ。

天は、芸術は、まだ俺を見放してはいない。

 

俺の人生。愛すべきドラマ。俺は俺の人生のファンだ。こんな面白い番組、見逃すワケがない。

いつだってとんでもないことが巻き起こる。楽しむしかないのだ。わはは。