真白きだけの花火よ霞草

三十路で始めるロックンロール。いまだ売れていない天才(自称)バンドマンが語る音楽、文学、哲学、詩、料理、日々、あるいは旅。

部屋と引越しと失恋と私

あの、荷物をすべて取り払って、がらんとした、というよりも、どこかすきっと抜けたような、緑色のエレメントが、ギリシャからアフリカまで駆け巡るその一つの失われた通り道を取り戻す瞬間。

 

なにもない部屋になにを見ているのか。そう、これほどまでにお前の部屋は広かったのだ。心のためにとたくさんのものを欲しがり、集めて埋め尽くしたお前の部屋はいつの間にか窮屈になってしまっていたし、だからこそお前はまるで旧約のあの記述のように乳と蜜の流れる新しい約束の土地を求めたのだ。

 

引越しを手伝ってくれた友達の声に呼ばれ、お前は部屋を後にする。

その前にもう一度だけ振り返る。

すべてがあったのだ。確かに、ここには。

不在の在。今お前はここにないものの存在を、失うことによってもう一度手に入れたののだ。

 

吹き出しで埋め尽くされた漫画の一コマ。あらゆる瞬間と、その瞬間瞬間に《複雑なあやとり》のように結ばれていた感情が一時に立ち上がり、隠されていた虹色の稲妻がお前の心のキャンバスに再び浮かび上がる(それはジャクソン・ポロックの絵画にとても似ている)。

 

ひとつ、息を吸い込む、無理に鼻で笑おうとする、たかが引越しくらいで大した感傷じゃないか、そんなやわな心で、無力な詩人のような顔つきで、この先どうやって生きていくつもりだ?

無感動になるのだ。昆虫のように無感情になるのだ。死ぬまで連中と同じように暮らし、同じように話し、「感受性」というお前に都合の良い名前の病を殺すのだ。

さっさと大人になるのだよ、ホールデン君。

労働に汗し、ただその日のためにのみささやかな祈りを捧げよ。

 

これが映画なら、と思う。

引きのショットから、俺の後ろ姿と、窓の向こうの晴れた空が映されて、暗転と共にスタッフ・ロールが流れ始める。

もちろん人生にそんなものはない。スタッフ・ロールなんて流れないし、天使のコーラスを引き連れたブライアン・ジョンソンだって歌い出さない。

 

そのかわり、表の、国道を走る車の音が流れ始める。

そして俺は、ああ、眠れない夜には、いくつかの愛の夜には、あの音が寄せては返す波のように聞こえたことを思い出す。

夏が終わって、誰もいなくなってしまった夜の海の、静謐な入り江に訪れる波の音。

 

部屋の扉を閉める。部屋の中からカメラが捉えた画面が暗転し、こうして物語が一つ終わる。

 

 

 

部屋を引っ越すことと失恋はよく似ている。なんちゃって。

祝サブスク解禁! Syrup16g全アルバムレビュー⑥『darc』


darc

 『darc』
はっきり言ってこのアルバムをレビューするために俺はこのSyrup16gレビューを書き始め、そして五十嵐とともに歩みここまでやってきたわけであり、とにかくこのアルバム『darc』というアルバムが正当に評価されてほしい、過去作を集めた『delaidback』の方が売上が良くてきっと拗ねているであろう五十嵐に、「いや、俺はこのアルバム好きやで。っていうか最高と思ってる」と言ってやりたい。
タイトルは覚せい剤治療でおなじみ、ドラッグ・アディクション・リハビリテーション・センターからで、まさかジャンヌ・ダルクからではないですよね? いや、聖性とかさ。そうそう、俺はこのアルバムに一種の「聖性」のようなものを感じてるんですよね。え、いや、どこが? とお思いの方たくさんいらっしゃるでしょうが、このアルバムは沈みかけていると知っていてなお前に進む、あるいは太陽に翼が焼かれると知ってなお高く飛ぶ、そんな究極の諦念によって編み上げられた、まさに五十嵐隆という人間の哲学が行き着いた先の(先端恐怖症だと彼は言うけれど)アルバムだと思ってるんですよ。
そのことが分かっている人間が、
 
最強の駄作にして
この中毒性、抜けられない、やめられない
ダルく

 

断続的に聴いてみてください。
芯を捉えると、これほどの名盤はないと感銘を受けるでしょう。
閉塞・固定されながらも観音開き・縦横無尽です。
‘’一応’’臨戦状態ではとうになく‘’既に’’五十嵐は闘いを卓の上で展開しています。
 
私も1度目に聴いた時に聴きにくく埋もれた印象を感じました。
しかし少し時間を置いて何の気なしにかけたら、一曲目の入りで心を掴まれハッとするのもつかの間その勢いのままに二曲目で拉致されます。
トータルを意識して聴くと、感覚的にですが、pascal comlade「Detail Monochrome」のような愛嬌のあるボーダーフリーな具合で五十嵐の意識に身を削る軌跡が見えてきます。
 

 

Amazonレビューにもたった二人だけいます(おかげでpascal comladeというアーティストに出会えました。ラッキー)。
もはや唄うことがなくなった、というようなことをのたまう五十嵐の、叫びたいことすら失った魂が、かつて叫んでいた、ただそれだけで、その形だけでこうして叫び続けている。こんなアルバムはそうそう出会えるものじゃありません。
かつての叫びを求めるならば、まさにこのアルバムは「駄作」であり、「閉塞・固定されながらも」しかし(もしかすると多くの人がそうであるように)生きる理由などなくても生きていく、後戻りも前に進むことももはや同じことならば、ただ前に進み、唄う。確かにこれは「観音開き・縦横無尽」であり、生への闘争ではなく生そのものが闘争であり、命が命を全うしようとするその過程そのものを表現した、そう見立てるならば「これほどの名盤はないと感銘を受ける」に違いありません。
 
というわけで、不穏なコーラス、呪術的なドラムから始まる 1曲目「Cassis soda & Honeymoon」。もうまずタイトルからして完璧ですよね。血・女性を連想させるカシスソーダと、新婚・蜜月を意味するハネムーン、という単語のカクテルの色との対比。まさに魔術的な詩的跳躍でしょう。言葉と言葉が接続し、豊穣なイメージの海にアクセスし、あらたな連想を導き出す。
 
戦争してる君の目に
何を歌う 言葉は無い
 
体操してる老いぼれに
何を語る 言葉は無い

 

この出だしの歌詞も完璧でしょう。五十嵐が幾度も取り扱ってきた戦争物ですが、ついにここで歌う言葉を無くします。そのまま戦争、で脚韻を踏んで体操している老いぼれ、という殺気を孕んだ言葉に繋げる天才的な言語センス! 
 
and she said
Your lights goes down, going down
世はLIEと業だ 強引だ

 

そしてサビ。『Hurt』1曲目、つまり再結成1曲目の楽曲が「Share the light」=(個人的な見立てによれば)「音楽という光を共有する」という動機から、再び生還した五十嵐でしたが、その「light」は沈んでゆく、と。「going down」だと。その深刻な歌詞に「世はLIEと業だ」と無理やりに韻を踏み、その無理やりな韻を自分で「強引だ」と茶化してみせる。つまりふざけてるんですよ、この男は。ふざけて、苦笑しながら目は笑っていない。
で、この曲で一番すごい歌詞が、
 
メメントモらず
静粛に 誠実に
メメントモらず
受け入れる スケベな内に

 

ここです。メメントモリ=死を想え、なので、「死を想わず」欲望がある内に受け入れよう、と。あの五十嵐が! 死を想わずに!
最後で「受け入れる振り」なんてまたややこしいこと言っちゃうけど! すごいですよ。メメントモリという、暗に悟りを意味するようなタームから一人離れて、もう一度俗世へと、汚れへと足を進めて、死を想わずに迷い、傷つき、恐れよう。と。こんなことを言う人間なんてどこにもいない!
こんなことを言って、次に唄うのが
 
愛憎は泥酔の海
クラゲみたい それじゃ不満
 
大西洋は挟まずに
連れてきたい それじゃ不満

 

これ! やられますよね。泥酔、クラゲ、、、。足腰の立たないふにゃふにゃした状態から、次のヴァースで一気に立ち上がって「大西洋は挟まずに連れてきたい」ですよ? このスピード感!
「Cassis soda & Honeymoon」、五十嵐隆の今の(この時点での)哲学が凝縮された、究極の一曲だと思います。
2曲目「Deathparade」、この曲を見事に解読しているのがYoutubeに上がっているMVのコメントで、
 
10階の窓から落ちたら間違いなく死ぬが、樹海に彷徨う事はその限りではない。
人生論的には全滅でも、存在論的にはまだ可能性が残されているのだ。
「死」と「死の運命」を沿うことは似ている様で全く異なるってこと! 
 

 

う〜んすごい。よくここまで見事に考察できたもんだなあ、と感心しますが、その見立ての歌詞がこちら。
 
Somebody kills me
そんないないね
なんて安穏は
一瞬で廃れた
 
Somebody kills me
存在しないで
10階の窓から
樹海の中に

 

somebody、ってのは再結成Syrup16gに対して期待外れだったお客さんのことでしょうか。なんにせよ、遊体離脱のMVの飛び降りのように、常に死を想ってきた五十嵐はここでもメメントモらず、受け入れる振りをして樹海の中を彷徨います。そして「強引だ」と前曲で自嘲しながら唄ったように、
 
So many death
沿う 運命にです
Deathparade

 

という、むちゃくちゃな語呂合わせがサビで唄われます。死の行進だと知りながら、運命を享受し、どこまでも沿い続けて生きていこう。という明るいのか暗いのかさっぱり分からない歌詞なんですが、白眉は
 
怒りは夜勤の痕に繕う羽
不条理と刺し違えても
容易く消えたアイロニー
聞こえる 生きとし生きられぬ声を

 

ここでしょう。やる気ですよこの男。不条理と刺し違えても、って。むちゃくちゃ戦闘モード。そして、生きとし生きられるものの声を聞いた以上、今までのように生死に対してアイロニカルな歌詞は唄えないのだと、それは今の自分にとってはポーズなのだ、と、そう宣言します。
聴けば聴くほど不協和音、ブッ飛んだ強引なメロディーが癖になる疾走ナンバーです。
3曲目「I’ll be there」。完璧。名曲でしょう。
 
痛みが終われば
悲しくなれる
 
希望のつぼみが
枯れないように
 
生き急いでるような景色を
選んで見せたかったけど
君が側にいないのを
誤魔化して来ただけなんだよ

 

あのね。アレンジも(意図的なんでしょうが)全然凝ってないし、ボーカルのテイクはもっと選ぶべきだし、音質は良くないし、歌詞もバカみたいに単純だし。
それがとてつもなく圧倒的なリアリティーを持って迫ってくるんですよね。
この生々しさ。そして、
 
他人の振り その他と変わりない
自分に興味が少ない

 

もはや自分自身に対する興味すら失ってしまった五十嵐の生。この人は、もう本当に唄うことがないんですよ。死んでるんです、本当なら。死んでいるはずなのに唄っている。奇跡ですよ。これがどれだけすごいことか分かりますか? 心臓が止まっているのに動いているようなものなんですよ。奇跡、と呼ぶ以外にありえないんです。
4曲目「Father’s day」、死んだ父への曲ですね。変拍子が不気味で、ほとんど感情が読み取れません。なんとも掴みどころのない曲です。まさに死んだ父こそ、五十嵐にとって「生きとし生きられぬ声」だったのかもしれません。もっとも死、黄泉に接近したこの曲から、後半戦、5曲目「Find the answer」、再び答えを探しに五十嵐は旅立ちます。
全歌詞引用したいくらいに素晴らしいのですが、、、ええと、どうしようかな。いや、むしろみんなこれは調べてください。笑
ひとまずサビだけ。
 
太陽の船
いずれ海原へ
Find the answer
 
吐きそうだ御免
In the end 泡沫へ
Find the answer

 

この「太陽の船」という言葉の輝くイメージもさることながら、その進みゆく海路の上で、いわば生の揺り戻しのようなもの、海原の波、つまり自分自身の足取りに吐き気を覚えつつ「In the end 泡沫へ」、死へと突き進んでゆく。凄まじい一貫性です、このアルバムは。まったくブレていない。そして、ちょっとありえないくらい五十嵐の格が違っている。凄まじすぎて寒気がするほどです。
6曲目「Missing」。
 
それじゃまるでお前を苦手な人が
いないみたいじゃない
いい気なもんだ

 

歌謡テイストのこの曲の歌詞は全体的に自嘲で貫かれています。
 
I can’t stand it for love
閉じ込めて 行方不明の君の
I can’t stand it 不応 love
亡骸を泣きながら捨てに行く

 

ここでも強引な語呂合わせが炸裂していますね。英文の意味は、愛のため、には耐えられない。反応しない愛には耐えられない。というところでしょうか。
 
ただの大丈夫な人でいいじゃない
そうでしょう
コンディション最悪の時もそばにいてくれる
ただの最悪な人でいいじゃない

 

これが自分に向けた言葉なのか、それとも誰かに向けた言葉なのか分かりませんが、よくまあこんな心情まで吐露できるな、と。
そして、
 
砂漠に見立てた 砂場のような
墓標にさよなら もう充分さ
 

 と、やはりこの曲でも五十嵐の主張はブレず、亡骸=過去の亡霊を葬り去り、ただゾンビのように前へと歩みを進めていきます。いやむしろ、歩んでいるその先がただ前である、それだけなのでしょう。

7曲目「Murder you know」、まだ言うの? とここでも強引な語呂合わせ。徹底しています。名曲。
 
観たいシーン集めた映画のような
物語なき毎日を続けてゆくなんて困難だ
 

 かつてデイパスで「歌になんない日々はそれはそれでOK」と唄った男が、一周回ってその日々をこそ肯定します。特別なシーンの集まりではなく、物語とはむしろなんでもない日々の、つまり反物語の積み重ねによって成立しているということ。

 
新しい出会いや出来事が
もたらせるのは混沌と後遺症だけ
そう思っていた

 

そしてこの言葉ですよ! 『Mouth To Mouse』期の歌詞とは違う、脱力した素直な言葉。この素直な言葉を吐き出すまでに、一体どれだけ長い旅を五十嵐は歩んできたのか? 最後に、今までのSyrup16gとは、五十嵐隆とは決定的に違う今回の『darc』に対してのファンの気持ちを代弁してこの曲は終わります。
 
これじゃない これじゃない感
 

 

うーん、完璧でしょう。ここまで何重にも言葉の網を張り巡らせて、ラストトラック「Rookie Yankee」、自分はルーキー・ヤンキーだと五十嵐は宣言します。
 
臥薪嘗胆して味覚障害
 
復讐のために耐え続けて、麻痺して。
 
別行動に気付かず 実のある修学旅行
 

 

一人だけ違うところに行って、それでもそこに「実」を見出す。
そして、
 
人の気持ちも 固有の気持ちも
搾りきって 全部で死のう

 

そうルーキー・ヤンキーは宣言して『darc』は幕を閉じます。
全アルバムレビューと銘打っておいてなんですが、このあとの『delaidback』は過去作品の詰め合わせで、五十嵐のファンサービスのようなものなので特に書くことはありません。気が向いたら書きますが、、、。それよりもぜひ、『darc』を聴いてほしいです。人間の精神、その極北を垣間見れる奇跡のようなアルバムだと思っています。
 
というわけで、長々ダラダラとやってきたレビューもこれで終わりです。良かったら過去のレビューも読み返しつつ、Syrup16gのアルバムを聴き直す機会にしてもらえたら、と思います。それでは。読んでいただきありがとうございました。
 

瀬門春壱の「週報」7/20〜7/26

物事が終わりゆくその様のみを切り取れば、蛹は蝶になった瞬間に「蛹」としては死ぬわけだが、しかしその死こそが新たな「蝶」としての生である。
まあこんなことは理屈として分かっていて、あとは身体にどう染み込ませるか、それ以外にはない。
「体得」という言葉があるが、まさに物事は頭ではなく身体で分からなくては自分のものになったことにはならないのだ、と昨夜のことを考えながら帰る道すがら、あまりにも急ピッチで飲んだ酒が悪かったのだろう、転倒し、肋骨をしたたかに打ちつけて地面に倒れる。
は、ざまあみやがれ。と自分に言いたい気分でそのまま地面に寝転がっていると、後ろからやって来た若い男に「大丈夫ですか」と声をかけられたので立ち上がる。
肘のところがべろりとめくれ上がってる。自分は今確かにちゃんとなにかを受けたのだ。これでいいのだ、と思う。
 
 
 
 
某ライブハウス四連勤。そしてひとまずひと段落。本当に夏とは相性が悪い。頭が茹ってなにも考えられない。すぐにへばってしまう。このままじゃダメだ。そろそろペースを取り戻さないと生活が乱れている。引き出しの中にゴマをこぼしたまま片付けられていない。
この日記もたったこれだけ書き進めるのに、何度も書いたり消したりした。おそらく自分のリズムに乗れていないのだ、今は。まあそういう時期もある。こういう時は徹底的に自堕落してしまえ、とも思うが、もう充分に自堕落はした。ムード。物事は場が呼び込む。場を形成する必要がある。これは個人的なメモ。
 
いや、いっそ大きな声で「疲れた!」と正直に言ってしまうことが今の俺には必要なのかもしれない。なんにせよ天秤は傾き始めた。七月はあまり良くない月で、俺はその良くなさを楽しみ尽くした。次は良い月を味わいたいが、俺の気配はまだこの受難は続きそうだと睨んでいる。
 

祝サブスク解禁! Syrup16g全アルバムレビュー⑤『Hurt』『Kranke』


Hurt

『Hurt』
 
不吉な歪みと重いリズムで新生(っていってもメンバー変わってないけど)Syrup16gは始まります、「Share the light」。
 
君の涙を切り取って海に沈めたなら
六大陸が一瞬で潤んだ目に沈む
記憶に耐えかねていた麻酔なしの制裁は
昏睡強盗のように容易く書き換える

 

シュルレアリスム的な要素もあり、意味が取りずらいのですが、3、4行目はもう一度音楽をやるということに対しての自嘲でしょうか。「鼻歌消えた世界で 無邪気にまだ鳴っている」という歌詞にも対応するし、おそらくそうでしょう。
だとするならば、Share the light= もう一度音楽という光を共有したい、という五十嵐の新しい戦いがここから始まるわけです。
次曲「イカれたHOLIDAYS」の歌詞を見てみましょう。
 
感情の無い剥製を身体に擦り当てる 撫でる
振動の無い六弦を切り裂くように鳴らす たわむ

 

最新のポスター 欲張りな憂鬱で
身分不相応の未来を込めて
最強のモンスター 断りなき侵入で
つたない理想論 被害者の英雄で
 
そう 言われた通りで
そう イカれたHOLIDAYS
 

 

感情の無い剥製=木で作られたギターのことでしょう。あとは歌詞通りですね。HOLIDAYS=Syrup16gを解散させたあとでしょうか。犬が吠える、の前? それともさらにそのあと?
ともかく、ここで五十嵐の自己紹介が終わります。
音楽という光を共有するためにイカれたHOLIDAYSから抜け出し、こうして再びぬけぬけと戻ってきたこと。
そして五十嵐が取った手段こそ3曲目「Stop brain」。
 
無為に没する生活で
込み上げるは平凡な希望
日々と真摯に対峙して
来なかったツケ 痛恨の希望

 

君とおんなじように生きてみたいけど
君もおんなじように生きていくのは
とても大変で

 

Stop brain
思考停止が唯一の希望

 

 
これこそまさに哲学者、五十嵐隆でしょう。思考停止が唯一の希望! まさにジョジョのカーズのように考えるのをやめて、音を鳴らすことを選んだ五十嵐の宣言、とも言えるこの曲はおそらくこのアルバム中一番の人気を誇るであろう良曲です。
さて、ではどうして音楽という光をそもそも共有しようと思ったのか。そのことが書かれているのが4曲目「ゆびきりをしたのは」。
 
諦めてるのが好きな
慰めてるのが好きなんだよ
 
一生そればっかりでも飽きるから
本気出せるもん ひとつくらいはないか
 
Carry on Carry on このままどこに
行くのか知らないけど ゆびきりをしたのは
 

 

勇気を使いたいんだろ
 
応援してるだけさ
共に生きていたいだけなんだよ

 

 
はっきり断言する 人生楽しくない
だから一瞬だって繋がってたいんだ

 

『Mouth To Mouse』期を彷彿とさせるような(唄ってることは「実弾」とは真逆なんですが)、絶望と希望の狭間の歌詞は、シンプルな言葉選びですがそれゆえに力強さを伴っています。
5曲目は「( You will)never dance tonight」。「いつも痛みは空っぽで 呆れるくらい他人事で 置き忘れてた言葉まで 持ち出して訊いてくる」、『delayed』、つまり初期の五十嵐に近い質感の、抽象的な歌詞と、不安な旋律のこの曲から、おそらく本編とでも言える楽曲のスタートです。4曲目までは宣言ですから。
というわけで6曲目でありながら2曲目は「哀しきShoegaze」。まんま「実弾」のイントロですが 笑 あんまり人気ないのかな、個人的にはコロコロ変わるメロディー、そしてキャッチーで泣けるサビがたまらなく好きな曲です。
 
たどり着いたビルの端 ゆらゆら
広がる夜景の灯 キラキラ
 
楽しかった記憶の回想
残念ながら冒頭で再放送

 

軽めの十字架背負い ふらふら
感情にも見放され イライラ

 

哀しきShoegaze
刹那いShoegaze forever
Somebody here? 懐かしい午後
 
歌詞もよく読めば冒頭からかなり危ないことを言っていて、なんか、らしい曲だと思います。
7曲目はこれも「I’m劣性」みたいですが、、、「メビウスゲート」。歌詞はちょっと笑ってしまうようなところがいくつかありますが(「低賃金ハードワーカー 軋む歯車」て!)、
 
たまに君の論外な非常識の論理が
正しく見える いつかは
繋がれたメビウスのゲートの中潜る
秘密の儀式に憧れていたんだ

 

という歌詞はすごくいいですね。本当にロマンチストだなあこの人、と思います。
8曲目はまさかのMV公開と謎の五十嵐のヘアスタイルが騒然となった、再結成Syrup16gのもっとも早く世に出た曲「生きているよりマシさ」。
 
一人きりでいるのが長すぎて
急に話しかけられると声出ないよね
基本地面ばかり見て歩くから
たまに人と視線合うとキョドっちまうよね

 

ほとぼりが冷めたらまた奮起して
やり直せるなんて甘いこと考えてた

 

解散後の自伝&自虐的な歌詞から、2Bメロ後に五十嵐ジャンプと呼ぶべき跳躍を見せるのですが、ここがやはりグッときますね。
 
もう君と話すには俺はショボすぎて
簡単な言い訳も思いつかないんだ
戸惑いの奥にある強い不信感を
はね除ける力が残ってたらいいのに
 
君と出会えたのが嬉しい
間違いだったけど嬉しい
会えないのはちょっと寂しい
誰かの君になってもいい 嬉しい

 

そう、ここでついに五十嵐は『COPY』から延々続いてきた「君」という呪縛(もちろんこれは誰か特定の個人を指す話ではありません)を、そのまま認めることができたのです。だからこそ執拗に繰り返される、
 
死んでいる方がマシさ 生きているよりもマシさ
 
は、「死んだ方がマシだとして、それでも生きていく」という、諦念の先の、なにか執念のような、ただ生きていく、その業自体を肯定するような、、、そんな大きなスケールを感じさせてくれます。
次曲「理想的なスピードで」は穏やかな佳曲。しかしこの曲もとにかく歌詞が素晴らしいですね。
 
「泣いてる?」なんてからかわれても
「意味がわからない。馬鹿じゃん」
くらいしか言い返せないけど
 
安心だけはしない 誰になに言われても
安心だけはしない 死ぬまで
 
反省だけはしない 無意識にやってるから
反省だけはしない 死ぬまで
 
愛してみろ 信じてみろ
壊してみろ 自分

 

この曲も、『Hurt』というタイトル通り、傷を受容していく過程にある楽曲ですね。
こうしてある種の自己セラピーを終え、傷と向き合った五十嵐が次に向かうのは疾走感溢れる「宇宙遊泳」。
 
次のステージがDestination
うんただの僻地が
輝いてくれ ただ夢中になれ
宇宙遊泳

 

というわけで、次のステージ、目的地へ向かうために「旅立ちの歌」でこのアルバムは締めくくられます。
 
旅立ちの歌
繊細さを胸に
そっと秘めながら歩く
君とまた会えるのを待ってる

 

なんとなく急ピッチで作った感全開、というか、もう少しアレンジ練った方がいいんじゃないの? とか、ギターソロ、ちょっと音外してないこれ? 大丈夫? え? わざと? など突っ込みどころ満載の曲なんですが、まあこれはおまけ曲、という位置付けでいいんじゃないですかね。
 
はい、というわけで楽曲の出来はまだリハビリ、といった趣がありますが、歌詞、思想の面ではまぎれもなく次のステージにたどり着いた我らがSyrup16g。過去との訣別、なんて大層なものではなく、ただ自身の痛みを受け入れる。死んだ方がマシだとしても生きていく。結構批判的な意見が多いアルバムですが(ワタクシもあまり良いと思わなかったのですが)、こうしてじっくり解剖して分析してみるとなかなか悪くない、どころか、このフラフラした立ち上がりこそまさに五十嵐という人間の魅力なんではないでしょうか。と、贔屓目にコメントしつつ、さて、ここからSyrup16gはどんな音楽を紡いでくれるのでしょうか。
 
 


Kranke

 
 『Kranke』
復活二枚目はミニアルバム。タイトルは患者。1曲目「冷たい掌」、これ、史上最高の名曲なんじゃないでしょうか。
 
冷静になり 状況把握して
反省もほどほどに 貴方を忘れた
 
三階建ての階段上って
眺める景色がすべてだったから

 

この、「すべてだったから」の「から」に対応する部分は普通に考えれば「冷静になり 状況把握して 反省もほどほどに 貴方を忘れた」の部分なんですが(つまり倒置されている)、そうすると文意が通らなくなるので、この出だしの二行と次の二行はまったく別の、つまり意識の流れ、とでも言うべきあやふやな心の移り変わりの記述でしょう。
 
自然に振る舞おうとしてた
怯えていた
分かり合えないものなんてないようなフリして

 

この抽象的なシチュエーションも、前後の歌詞からは分断されています。つまり、この楽曲の歌詞は意図的にいわゆる作詞の技法を回避して意識の流れだけで書かれている、と見て間違いないでしょう。
 
冷たい掌握り直して
過去へ連れてって
冷たい掌握り直して
未来へ連れて行こう

 

ここで握り直した冷たい掌は「貴方」なのか? ならばどうして「貴方」を忘れる必要があるのか? そもそも本当に「貴方」を忘れたのなら、歌詞に書くこともできないはず。忘れていないんですよこの男は。「冷たい掌握り直して」というサビのくだりこそ、「貴方」に伝えたいメッセージなのです。
「You’re my steel You’re the protection」という締めくくりの歌詞まで完璧。
2曲目「Vampire’s store」は久しぶりの戦争ソング、、、ですが、「やりきれないのは誰のせい 満ち足りないのはまあ気のせい」など、いわゆる「個人の戦争(戦闘)」と絡めた歌詞はかなり抽象的で、一聴しただけではなにを言いたいのかあまりよく分かりません(悪いわけではなく)。
「songline(Interlude)」というインスト曲を挟んで(唄われているO・O・A・A・Eを50音で数えると5・5・1・1・4で、その合計が16、、、て話があるのですが、ホンマかいな 笑)、「Thank you」。これは五十嵐の得意な感じですね。いい曲です。「夢はちっちゃいゴールで墓に埋葬 上機嫌 無駄になっちゃう思い出 ムキになるまで申し込んで」なんて歌詞、むちゃくちゃ泣けますよね。ああ、いいなあ。変なコード進行だなあ。ライブで観たいな、この曲。
あっという間に最後の曲「To be honor」。
 
数秒間の静寂が
永遠より長すぎるから
とりあえず喋ろう
 
計算なんかとんでもない
いっつも意識に身を削ってる
息を殺してる
 

 

迷走ぎみの生還者
脱走兵に弁解の余地はない
身から出た錆

 

疲れる生き方してるよなあ、と苦笑してしまうくらい、やはり自分を冷静に観察するところは相変わらずなのですが、
 
To be honor
主導権はどこ行った 不健全だろう
空気読むな
主導権は君じゃなきゃ不健全だろう

 

泣いてるひとの傍で
寄り添ってたい
ずっとそんな人なのに
見失ってんだ

 

いっそ悲しみごと抱きしめようか
いっそ憎しみごと抱きしめようか

 

これはファンに向けたメッセージでしょう。こんなことをあの五十嵐が唄っている! いや、あの五十嵐だからこそこんなことが唄えるのだ!
 
曲数少なくあっという間に終わってしまいましたが、『Kranke』は前作『Hurt』から本当に一歩を踏み出したような、、、もちろんまだ「迷走ぎみ」であることは本人も唄っている通りなのですが、新しいSyrup16gへの過渡期、さなぎのような作品です。
 
というわけで、ダラダラ続いたレビューもいよいよ最後! 次回、『darc』と『delayedback』にて完結です! お疲れ様でした!(まだ終わってない)

祝サブスク解禁! Syrup16g全アルバムレビュー④『delayedead』『syrup16g』


delayedead

『delayedead』

 遅れてきた死、とでもいうべきタイトルのこの作品は、前回のアルバム『Mouth To Mouse』の出来にどこか不満足だった五十嵐が、「俺はもっと毒を吐ける」ということで、過去の、あるいは未発表の曲をまとめたアルバムです。なので、『delayed』と同じく、このアルバムにコンセプトはあまりありません。
『delayed』がダウナーで内省的だとするなら、今回はダウナーですが攻撃的。
1曲目、ダークなマイナーコードから始まる「クロール」で幕を開け、2曲目明るいアルペジオと共に「必要なのはきっと愛で / それでも人を憎んで / そのまんまでいていいんだよ / 君なんだよ」と、まるで『COPY』の頃の自分を救済しようとするも「そんなの必要ない 見つからない一切dougt」と結局無限メタ地獄に落ち込む「Inside out」が終わると、インディー時代のアルバム、ワタクシがわざと飛ばした『Free throw』に収録されているアンセム「Sonic Disorder(タイトルは広場パニックの英訳、Panic Disorderから)」のベースリフが鳴り響きます。
そう、この『delayedead』の中には「ホノルルロック」を除いた『Free th』のすべての楽曲が収録されているのです。なので、先に『delayedead』を聴いてから、一体五十嵐がここにたどり着くまでにどれだけの道のりを歩いてきたのかを確認するために『Free throw』に戻る。という順番を推奨しています(勝手に)。
 
いつかは花も枯れるように壊れちまったね ここは怖いね
 
君の胸に抱かれたなら少しは安らかに眠れるかな
人は一人 逃れようもなく だから先生、薬をもっとくれよ

 

と、はっきり言って言葉の力は少し過剰なのですが、その言葉の強さに楽曲の強度と五十嵐の声が負けません。
4曲目「前頭葉」は少しゆったりとしたアルペジオから咳払いと同時に再びダークなロックに切り替わります。どこか投げやりで、「前頭葉」でシャウトするのは五十嵐くらいでしょう、ちょっと狂気じみていて、ボーカリストとしての五十嵐の魅力を堪能することができます。いやとんでもなくかっこいい声やな。
5曲目「Heaven」もタイトルとは裏腹にまたしてもダークなロック。マキリンのベースがうねり倒します。この曲もシャウトがかっこいいですね。
6曲目は五十嵐の真骨頂、たった2つのコードだけで進行していく切なく美しい楽曲「これで終わり」。大好きですこの曲。何回聴いて泣いたことか。
 
罪や希望と交換に僕は新しい傘を買う
使えなくて無理をする
汗ばむ手を拭いて おおげさに深呼吸をして
歩き出すよ 君の方へ

 

悲しい物語を読み終えたころに聞こえてくる In Your Last Days
背中をそっと抱いて君は優しく語りかける In Your Last Days

 

光と影を受け止めて
疲れた顔で微笑んで

 

視界がもっと溶けて想いが滲んでかすれても
仕方ないさ これで終わり

 

いつの日か感じたことがあるような、一つの物語が終わる瞬間の、あの時の気持ちを思い出させてくれます。
うわ、今聴いて鳥肌が。。。
で、次曲は説明不要、ここからSyrup16gというバンドが始まった大名曲「翌日」。
 
急いで人ごみに染まって
諦めない方が奇跡にもっと近づくように

 

勝利とかじゃないんですよ、諦めずに頑張っても近づけるのは「奇跡」だなんて。どれだけ頑張っても報われないかもしれない、それでも諦めないことでしか「奇跡」には近づけない。そんなどうしようもない現実の残酷さとかすかな希望を見事に切り取った歌詞だと思います。
この曲が『Free throw』、そしてDEMOテープ1作目に収録されていることを考えると、まさに「翌日」からSyrup16gというバンドはスタートしたわけです。
 
嘘から抜け落ちた裸のような目で
美しいままの想像で
不甲斐ないまま僕が受け入れるべきもの 今
形に残せないすべて

 

これはまさに物事をありのままに捉えて音楽を作り続けていくことの決意表明であり、
 
喧騒も待ちぼうけの日々も
後ろ側でそっと見守っている
明日に変わる意味を

 

すべての瞬間は、たとえそれが空振りの、待ちぼうけの日々であろうとも、自分の中で生き続けているのだ、と肯定する、例えば五十嵐が愛する宮本の言葉を借りるならば「悲しみも喜びも全部この胸に抱きしめて駆け抜けたヒーロー」として生きることへの宣言なのです。
その名曲「翌日」の次は「ローラーメット」にも通じる、ちょっととぼけたような「I Hate Music」。サビのコード進行も良いし、ハードロックな演奏も面白いのですが、「I Hate Music」って、それを言ってしまうともうおしまいでしょう、という。笑
9曲目は無茶苦茶に詰め込まれた歌詞やヤケクソがかっこいい「もういいって」。
 
夢は叶えるもの
人は信じあうもの
愛は素晴らしいもの
もういいって

 

時間ないから適当に作りました、みたいな楽曲なんですが、それでもこんなクオリティの高い楽曲を作れてしまう五十嵐の才能が凄まじい。
10曲目はこれも『Free throw』から「真空」。これもアンセムですね。ギザギザ刻まれるギターと、アルバム中最高の疾走感がとにかく気持ち良い。
 
懸垂二回以上できない
長距離走るの嫌い
先生、あなたが言いたいこと
本当は僕分かってたんです 全部

 

このかっこ悪さ! 最高にかっこいいです。11曲目「エビセン」はダウナーな、ささやかで美しい曲。昔は全然好きじゃなかったのですが、再結成後にこの曲をやっていて好きになりました。
12曲目は「Breezing」。疾走感あるナンバーで、初の全曲英英詞ですが、、、ううん、特筆するべきところはあまりないかな。
13曲目「Good-Bye Myself」は、強引に詰め込まれたメロディーに笑ってしまいつつも、「当ててみるね 存在の意味ね 言いたくないね 以外と地味ね」という歌詞、演奏、五十嵐のボーカル、殺気に惚れ惚れしてしまいます。
そして迎える14曲目は大名曲(こればっかりなんですが、このバンドには本当に大名曲が多い!)「明日を落としても」。
 
辛いことばかりで心も枯れて
諦めるのにも慣れて
したいこともなくて する気もないなら
無理して生きてることもない
 
明日を落としても
誰も拾ってくれないよ
それでいいよ
 
こんなことを唄いつつ、
 
そう言ってうまくすり抜けて
そう言ってうまくごまかして
そう言って楽になれること
そう言っていつの間にか気づいていたんだ
 
Do you wanna die?
 
果たして本当に人生に生きる価値はないのかを問い続ける、まさにSyrup16gというバンドを象徴する曲でしょう。
アルバム最終曲は「きこえるかい」。3拍子の切なく、力強いナンバーです。
 
歩道の上 うつ伏せでも寝れる
ひんやりしてる
渦の中 覗き込めば見える
恥ずかしい気持ちが
それとなく

 

渦の中=車の車輪でしょう。最も死に接近した歌詞でありながら、「知らせるさ 君には きこえるかい」という言葉に救われます。
「いつのまにかここはどこだ 君は何をしてる」なんて、これまでの五十嵐の足取りを考えれば本当に泣いてしまいます。
 
というわけで『delayedead』は、寄せ集めの作品集ではありますが、『Free throw』のほとんどを含むなど、楽曲単位で見ると避けては通れないアルバムでしょう。
このシリーズにコンセプトはありませんが、、、まあそれは言うだけ野暮ってことで。
 
ここからSyrup16gは迷走し、ライブで延々と新曲をやり続けて一切音源を出さないバンドになっていきます。
その間の音源をネットの海で拾い集めてはトリスウイスキーを飲みながら聴く、それだけが自分の人生の一番の楽しみだったころもあるほど、この時期の未発表曲に思い入れはあるのですが(一部は次作『Syrup16g』と再結成後の『delayedback』に収録)、公式ではないものをレビューしても仕方ないので飛ばします。
 
 


syrup16g

『syrup16g』
 
さて。というわけでレビューもついにここまできました。
解散前のSyrup16g最後のアルバムは、セルフタイトル、少しだけ斑点のようなもので汚されているジャケットは白を基調としていて、五十嵐のバンド解散への決意が見てとれます。
1曲目「ニセモノ」。ミックスのこのおおげさな感じがちょっとどうにもいただけませんが、まあぶち撒けてしまってます、五十嵐。
 
そう夢見てきた いいだろ
途中までいい感じだった
破滅の美学なんかを利用として
いざとなりゃ死ぬつもりだった
 
結局俺はニセモノなんだ
見せ物の不感症
拾った思い吐き出して
愛されたいの まだ
 

 

あ〜あ。言っちゃった。。。というような歌詞ですが、、笑 絶対女とも別れたよこれ。『Mouth To Mouse』のポジティブっぷりはどこへやら、おまけに五十嵐の父親がこのタイミングで亡くなられた、ということで、再び地獄の底に落ちていってます。
次曲「さくら」。悪戦苦闘ライブ期のデモのころと大分歌詞が変わりましたが、キラー・チューンですよね。
 
全てをなくしてからはどうでもいいと思えた
枯れてしまった桜の花かき集めているんだろう 
 
悲しくて悲しくて涙さえも笑う
優しさも愛おしさも笑い転げてしまうのに
さよなら さよなら
遠回りしてた
 
ついにバンドの終焉までが歌詞に重なります。悲しくて悲しくて涙さえも笑う、こんなところに辿り着いてしまうなんて。
 
全てをなくしてからはありがとうと思えた
これはこれで青春映画だったよ俺たちの
 

 

3曲目「君をなくしたのは」、この曲は完全にライブ、デモの方がよかったなあ、という。アレンジがあんまり、、、。
4曲目「途中の行方」、「俺は狂っちまったけどなにもかも忘れられない」「誰でも吐きそうな言葉垂れ流して 誰でもなりそうな病気ぶら下げて」と、「ニセモノ」と同じように自身を対象化して冷水をぶっかけていきます。
5曲目「バナナの皮」、ここで打って変わって陽性の曲です。「散々泣いちゃって絶好調になったんだ」という歌詞にはとても救われたし曲の出来は悪くないのですが、う〜ん、一枚のアルバムとして通して聴くと、違和感、というか寄せ集め感があります。
というか、こうしてレビューを書いていると、統一感があるアルバムを最後に作ったのが『HELL-SEE』なんですよね。あそこまでは確実にコンセプトがあったはず。
6曲目「来週のヒーロー」は、Syrup16gの中でも5本の指に入るほど好きな曲です。これもライブ、デモの方がよかったけど、、、。
全てをなくした、とさっき言っていた男が「失ったものなどなにもない いつかは分かってもらえるはず」ですからね。これは禅問答の境地ですよ。笑
次曲「ラファータ」、これもまっすぐで力強い名曲、、、なのですが、やはりライブ・デモの方に軍配が上がるかと。というか、やっぱりこのアルバムってすごくちぐはぐなんですよね。結局俺はニセモノなんだ、と言い放った男が同じアルバムに収録していい曲じゃない。笑
だって「雨上がって 光伸びて 汗をかいてただこの日を生きてる 続いてゆく」ですよ。躁鬱の振れ幅が尋常じゃない。
で、その次の曲は「HELPLESS」。「賛美歌の歌が聞こえてるのは三時間くらい前に焼かれたから」、父親の死に接して書かれた曲、だったと思います。
悪い曲じゃないですが、、、。そしてこのいったりきたりの不安定さこそSyrup16gの魅力と言われればそれまでなのですが、、、。
そしてその次の曲「君をこわすのは」、生々しい弾き語りの曲ですが、これも、う〜ん。もっといい曲書けるでしょう? っていうかあるでしょう? っていうのが本音です。
さて。いよいよアルバムも終盤。打って変わって一気に切なくも爽やかな疾走ナンバー「scene through」は、聴きやすく一般的に見るといい曲だと思います。でもまあ五十嵐ならもっといい曲(略)。
「楽しかった約束 つかまえた口笛 スカートの裾が描くSweet melody」なんて一歩間違えればヤバい歌詞になると思うのですが、前後の歌詞、そしてなによりも五十嵐の声によって心に突き刺さります。あのこのレビュー、基本的に五十嵐の歌詞にしか言及してないんですが、マキリンの鬼ベース、たまりませんね。。
最後の「ララララ」コーラスまで含めて、、、とここまで書いて、あれっ、でもやっぱり俺この曲ベタでも好きだな、と今聴いて思ってます。笑
11曲目「イマジネーション」は、実質上このアルバムの、そして解散前Syrup16gの最後の曲でしょう。
 
自分だけ苦しいと
どこかで思っていたのかな
優しさを履き違えて
あなたに押しつけてばかり

 

最後のチャンスだと
わかってたのに

 

たくさんの歌
たくさんの思い出が
イマジネーション
体を突き抜けてく

 

言わずもがな、メンバーに向けた歌詞ですね。ここで終わっておけば五十嵐という人間はもう少し分かりやすい男なのですが、最後に「夢からさめてしまわぬように」という、父親が亡くなった時に書いたとされる曲が弾き語りで収録されています。
 
君からもらった空の色
風に吹かれ歩いてゆく
君から学んだその後で
僕はなにを返すんだろうか
逢いたいよ

 

夢からさめてしまわないように
夢の先のことを考えて泣くのはもうやめておこう

 

と、こんなことを唄い、さも穏やかな諦念を唄った曲かと思いきやですね、
 
もっと寄りそって 近づいて 消えないで
もっと寄りそって 近づいて この手を握って
そっと いかないで 少しだけ声をかけて
そっと いかないで

 

最後の最後! 最後の最後に弱々しい声で本音を残して去ります、去るんですよこの男は! 卑怯ですよね!?(落ち着け)。
Lou Reedの「Perfect day」みたいな最後のどんでん返しはともかく、この曲の持つ美しさが、今聴き返していてやっとわかりました。バンドバージョンでも演奏してほしいなあ、、、。
 
と、こうして最後の最後に残る気力を振り絞ってどうにかアルバムを完成させ、Syrup16gは解散したのでした。
『COPY』から始まった五十嵐の旅は、再び地獄に突き落とされることで敗北したまま幕を閉じました。
 
だから、まさかSyrup16gが再結成するなんて(犬が吠えるやらなんやらのグダグダっぷりも含めて)、夢にも思っていませんでした。
ああ、夢からさめてしまわぬように。まさに今のワタクシはそんな気分でございます。

瀬門春壱の「週報」7/13〜7/19

光陰矢の如し、一週間の速度どないなっとるんじゃい。引き続き体調悪し。左奥歯の激痛、舌先に切れたような痛み、偏頭痛、気圧のせいなのか? 日記を読み返すと6/22〜28の週報からずっと調子が悪そうだ。
 
釣り針で引っ張られたような偏頭痛が起こり、左の奥歯付近の歯茎が腫れ上がり、口内炎ができているのだが、
 
生活が荒れ始めているのは気圧や気候のせいなのか、それともあまりに日々が忙しすぎるからなのか、はたまた俺の体力がないからなのか
 
身体の調子悪く、ということはそのまま精神の調子の悪さにも繋がるわけで、
 

 

 
かれこれ一ヶ月近く体調が悪いということか。いつまで続くのやら。梅雨を抜ければ変わるのか。例年の自分はどうだったのか。日記を残しておくことの大切さを知る。
 
 
 
 
東京二日目。一度も途中で覚醒することなく朝まで眠る。漫画喫茶を出て、調布を去って国立へ向かう。
俺は昔からRCサクセション、忌野清志郎が好きなのだが、国立は彼の聖地で、泊めてもらう髭ドラムの家がある駅から近いので、立ち寄ることにした。
小雨降る国立の中を傘もささずに歩いて行く。「つり舟」という有名な天丼・海鮮丼屋で昼食をとり、「ロージナ茶房」(ここによくキヨシローは来ていたらしい)でコーヒーを飲み、目的地へ向かう。
シャッフルでキヨシローの曲をかけながら、彼の眼になってこの街を映す。キヨシローが青春を過ごした時とはすっかり街の様子も様変わりしているだろうが、それでも、あの静かな詩人がどんな風に世界を切り取ったのかを想像する。
 
夜に腰かけてた
中途半端な夢は
電話のベルで醒まされた
 
無口になったぼくは
ふさわしく暮してる
言い忘れたことあるけれど
 
多摩蘭坂を登りきる手前の坂の
途中の家を借りて住んでる

 

 
そうか、ここにキヨシローは暮らしていたのか、と「たまらん坂」にたどり着いた俺は「多摩蘭坂」を聴きながら感慨に耽る。
ひっそりと、賢者のように、憤り、やりきれなさ、哀しみ、そういったものを静かに抱えて、いつものようにあのアルカイックスマイルを浮かべているキヨシローのように俺も生きていきたいと考えて、しかし世に出てベラベラあることないこと話すことこそが俺の仕事、と一人苦笑する。
Youtubeでモノクロの「わかってもらえるさ」のライブ映像が上がっているが、この動画のコメント欄の「キヨシロー みんなに分かってもらえて良かったね。ヤングインパルス時代から応援してたよ。ゆっくり休んで下さい。ありがとう」という書き込みを見るたびにいつも泣いてしまう。
みんなに分かってもらえたんですよ、貴方の素晴らしさが。キヨシロー。「わかってもらえるさ」、そう思って俺も今日まで生きてきた。俺が生きてこれたのはキヨシローが「わかってもらえるさ」って言ってくれたから。その言葉が、俺の杖になった。永遠のヒーロー。ユングのオールド・ワイズ・マン。ありがとう。本当に。
 
「たまらん坂」を後にして、少し離れた「湯楽の里」という温泉施設に向かう。ここでようやく一息。酒を飲みながら「TRICK」を観る。ただただ幸福な時間。
 
温泉を出て、某駅前にて帰宅した髭ドラムと落ち合う。「家までタクシーやねん」、駅前のドンキで酒を買い込み彼の家へ。
しかし二人とも特に近況を話し合うでもなく、なぜか「らんま」を観ながらダラダラ酒を飲み、気づいたら眠ってしまっていた。
 
 
 
 
目を覚まし、互い仕事など済ませて昼食をとり、髭ドラムと別れて東京駅「ハンバーグワークス」にて、古い親友アトムと飲む。
アトムは二歳か三歳のころから遊び始め、小、中、高と一緒で、就職してからは東京に出てきた俺の竹馬の友、というヤツで、今でも盆と正月は会って酒を酌み交わす間柄だ。
彼は俺たちの中でズバ抜けて頭が良く、俺の書物のモデルにもよくしている。
かなり真剣に将来のこと、これからの世界のことなど話し込む。儲かっているのだ、と言って食事はすべて奢ってくれた。
バス停まで見送ってくれて、俺は一人神戸へ帰る。3列シート、トイレ付きの夜行バスを借りて快適だったのだが、それにしても全然眠れない。全然眠れないままに朝から働き、そのまま夜中も働く。
帰ってきて少し眠り、今度は幽谷響・Dobooi Dobooiesのヒロミツ、ケントと俺の家で音楽研究会と称した飲み会。
凄まじくディープな話で盛り上がる。この飲み会、本当に面白く、出来事を拡大し、細部をスケッチしたいと考えるのだが体力的に限界。この調子の悪い霧から早く抜け出したい。
 
 
 
 
翌日から奥歯が強烈に痛み始めたのだが、確実に無理がたたっているのだと、日記を書いていると気づく。
木曜日は練習。8月4日のライブに向けて。今度のライブは新曲を中心にやっていくつもり。バンドの調子はいい。それだけが救いだ。

瀬門春壱の「週報」7/6〜7/12

身体の調子悪く、ということはそのまま精神の調子の悪さにも繋がるわけで、尼崎でも飲みすぎることなく、ある意味不発で帰宅し、ぼけた頭でちびちびと作業を進めていく。虫の知らせ、というか、不吉な予感というものがレインコートの中にまで忍び込んできている。ああ、だろうなあ。と思う。お前は最大限努力したか? 慮ったか? 答えはいつも風の中。俺? 俺は俺というものがいまだになんなのかすら分かっていない。
 
 
 
 
某ライブハウスにて、新店長の就任祝いを兼ねて仲間たちと一日遊び、飲み倒す。イベント終わり、家の近くの「皇君菜館」に行って打ち上げ(でも三宮の方が美味しかったね)、そのまま銭湯に行き、帰宅。あひるの子のようにぞろぞろと連中もついてくるがかまわず俺は就寝。
朝起きてもなかなか帰ろうとしない男たちに心の中で呪詛を浴びせる。天使のむきえび、みたいな女の子ばかりが泊まりに来てくれればよいのに(なにを言ってるんだ)。
そこから二日間頑張って働く。ええい! 絶対にこんな生活とおさらばしてやる! 見ておけよ! と、くたびれすぎていつもの坂を自転車で登れずフラフラになっている朝、固く心にそう誓う。
 
 
 
 
甲東園「バードランド」にて、東京行き前最後の練習。何人かはそのまま甲東園に残るようだが、俺は正月ぶりに(というか基本的には正月にしか帰らないのだが)伊丹の実家に帰省する。
塚口から電車を乗り換えて、稲野(俺が家を出て最初に暮らした街だ)ーー新伊丹ーーそして伊丹へたどり着く。
今頃俺の同級生たちはどこでなにをしているのだろう? 本当にこの街を出てから、誰ともまったく会わない。俺だけがなにかとんでもないことをしてしまっているのか? 俺は街から弾かれてしまっているのか? 本当に俺に青春と呼べるような時間はあったのか? みんなはなにを考え、どうやって暮らしているのか? 生だの死だの、あるいは愛や恋、夢のことなど考えたりしているのだろうか? それとも金? 誰もが金のことしか考えていないのだろうか。
大雨の中、駅から乗り合わせたバスから降りて家まで帰る道すがら、俺はずっとそんなことを考えていた。
 
久しぶりに両親と話し、ご相伴に与り早めに眠る。明日から東京。
 
 
 
 
戦士たちの朝は早い。五時にドラムの三木と、俺たちがよく遊んだ公園に集まり、レンタカーで甲東園に向かう。
廣内、ケントと合流し、尼崎まで辻君を迎えに行く。
野犬に襲われたようなボロボロの出で立ちで現れた辻君を見て、あんまり乗せて行きたくなかったが、一人で歌は唄えない、仕方なく乗り込んでもらい、一同東京、八王子を目目指す。
一時間しか寝れずに、さっきまで練習してたっす。などと、体力があるを通り越して不気味、もはや意味不明なことをケントが言っている間に、真っ先に酒をかっ喰らい、早く眠ったという話だったはずの廣内が口を開けてもう寝ている。早い。最近、ベースを弾いているか酒をかっ喰らっているかパンを喰っているか寝ているか、これ以外のことをやっている彼を見たことがないのだが大丈夫だろうか。普通に心配になるが、まあこいつの心配なんてしていられないのは、相変わらず辻君が訳のわからない発言を連発するからで、やれ自分の人生で一番楽しかったのは自然学校だの、そこで好きな子が歯磨きしているのが新鮮だっただの、思わず歯磨きしてる! と言ってしまっただの、なんの発展性もない話を喋り続けているので、俺が「俺の人生で一番楽しいのは今やけどな」と言うと、なんて寂しい人生なんや! こんな今が一番楽しいだなんて! などと腹の立つことを真剣に(そう、彼はいつだって真剣なのだ)言い、自分の自然学校がどれだけ楽しかったのかをまた俺に教えてくれるのだった。いらんて。
 
パーキング・エリアに寄り、音楽を流すプレイヤーを手に入れて旅は続く。運転はずっと三木君。ごくろうさま。車内は常に爆笑の嵐。疲れてきて、俺も少しうとうとし始める。廣内は、時々申し訳ないと思っているのか、起きては会話に参加するそぶりを見せるが、またすぐに眠りに就く。
やがて八王子に到着。田舎だ。田舎。まぎれもない田舎。俺たちの間に戦慄が走る。「俺の初めての東京、ここっすか」とケントが落ち込んでいるので、「大丈夫、ここは東京とは呼ばないよ」と言ってあげる(すまない八王子)。
名物「スタ丼」を食べて(三木は大盛り、廣内は丼+油そば。みんな若くないか?)、昼寝しよう、、、としていると、武士から連絡が入る。「東京でライブなんやて? 前乗りしてるねん」武士はいつでもヒマを持て余しているのだ。仕方なく付き合ってやることにする。
二人で喫茶店に行き(しかし我々は一体何百回喫茶店を共にしたのだろうか)、近況を報告しあい(ってこないだ会ったばっかりやんけ)、お互いへらず口を叩き合い、そのまま武士は俺たちのバンドのリハを見たあと「駅まで送ってくれるんやろ?」とにやり、笑いながら言い放ち、「今日のライブ、見えたな」などとこいつもまた訳の分からないことを言うと改札の向こうへ消えていった。わざわざこんな遠いところまで来てくれてありがとう。愛を。
 
ライブが始まるまでに、どっかで缶ビールでもこうてこましたろ、とぶらついて、無事にゲット・ザ・ビアーして店の入り口まで戻ってくると、王様一同&今回の企画者であるSABOTEN MUSICのこすけ君が一緒になって座り込み、尼崎の空気を作り上げている。
すわ、一体何事じゃい。とそっちの方に寄っていくと、ケントが今の政治が、日本がいかにおかしいのかをみんなにアジテートしていた。好き者やなあ、と遠巻きに見ていたが話題を振られ、一気に燃えて喋り倒し、気づけば今の日本が悪いのは震災で大地の龍脈が崩れたからだ、と身振り手振りで熱弁。あっけにとられるみんなを尻目に俺は再びゲット・ザ・ビアー。
 
ライブ終わり、一人で中華屋で打ち上げ、メンバーはみな日帰りだが俺はせっかくなのでこのまま東京に残る。
調布まで送ってもらい、ここが舞城の小説に出てくる調布かあ、と感慨に耽り、コンビニで酒を買い、漫画喫茶へイン。いやあ、最近の漫画喫茶ってこんなに快適なんですね。部屋広い。足伸ばせる。綺麗。シャワー浴びれる。はああああ開放感。知らない街で、俺、一人、旅の真っ最中!
早速ちびちびと酒を飲み始めるも、疲労困憊、一瞬で眠ってしまう俺だった。いや、だから、本当に、インターネットで、やらしいサイトなんて、見てないってば。